幕末三剣士(天保三剣士)の一人大石進は、
柳河藩藩士大石太郎兵衛の長男に生まれ、
新陰流剣術、大島流槍術剣槍術を学びます。
大石家は祖父代より柳河藩剣槍術師範役及び、
三池藩立花家の剣槍術師範役を務め、
それ故に交際費で苦しい生活を強いられ、
進は田畑を耕して家計を補っていたという。
吊るした鞠を竹刀で突いて突き技を磨き、
左片手突きを編み出し大石神影流を開設し、
江戸へ出て名だたる剣士を打ち負かし、
江戸中の一流剣術家に恐怖を与えました。
その大石神影流の関連史跡が早馬神社です。
大牟田市宮部近辺(早馬神社の場所)
県道93号線添いの「大石神影流遺跡」碑。
周辺には今回訪問する早馬神社の他、
大石進の墓所や石碑等が点在。
石碑のある交差点から西に進み、
小路に入ると早馬神社の鳥居が現れます。
「早馬神社」。
祭神は端山積神。
諸国から門弟や修行者が訪れた為、
道場が手狭となってしまい、
早馬神社で稽古や試合をしたらしい。
社域の隣が生家跡や道場跡なのですが、
現在は民家で碑などはありません。
大石神影流遺跡を説明する石碑。
「当早馬神社は宮部の産土神
東隣に大石先生道場 生家跡
道を隔てて北方に高弟今村氏の住居があり
この境内でも屡々稽古や試合が行なわれた
記念すべき大石神影流遺跡である」との事。
「拝殿」。
当時の拝殿や神殿は火災で失われており、
大正や昭和に再建されたもの。
境内はそれ程広くはありません。
実際に手狭であったようで、
近くの諏訪宮を別道場としており、
そこでも稽古を行ったようです。
大石進は男谷精一郎、島田虎之助と共に、
幕末(天保)の三剣士と称され、
北辰一刀流千葉周作、天真一刀流白井亨、
直心影流男谷精一郎、神道無念流田島岩尾、
直心影流島田虎之助と名だたる剣豪と対戦し、
その左片手突きは天下無双の技と称えられ、
諸国からの入門者が押し寄せたそうです。
大石神影流は現在も続く数少ない流派。
是非とも後世まで残して欲しいものですね。
しかしこの神社は境内の規模に比べ、
狛犬は非常に大きい。
なんでも九州最大級の狛犬のようです。
■関連記事■
・ 福岡県柳川市 柳川城跡
大石は柳河藩の剣槍術師範を務めています。
・福岡県大牟田市 三池陣屋跡
三池藩の剣槍術師範も務めています。
・福岡県大牟田市 大石進墓所
大石進の墓所。