広島県安芸高田市 安芸吉田陣屋跡

広島藩の支藩広島新田藩は、
他の新田藩と同様に決まった領地を持たず、
宗藩による蔵米支給によって運営され、
藩主は江戸に定府していました。

ところが幕末の文久3年。
広島藩は不穏な状況の長州藩への牽制の為、
新田藩主浅野長厚を帰国させて、
幕府の許可を得て陣屋を建設させ、
安芸吉田藩が成立します。
皮肉にも長州藩に備える為に建てられたその陣屋は、
毛利元就の本拠地吉田郡山城の麓に建てられました。
これには深い理由があったようです。

吉田は長州藩主毛利家の父祖の地であり、
仮に長州藩が広島を攻めるとなれば吉田が狙われます。
また攻めてくるとすれば、山陽岩国からの他、
山陰浜田藩を破って石見を抜けた場合、
広島を防衛する為には吉田を要害とする必要もありました。

それとは別にもうひとつ。
吉田に陣屋を建てたい訳もありました。
吉田には元就や毛利隆元の墓所があり、
毛利家が長州に移ったあとも、
代々の長州藩主が墓参りに訪れています。
もちろん藩主の墓参りですから、大人数が吉田に来るわけで、
住民達は大歓迎で迎えます。

元々が毛利家の領地で、しかも藩主自ら墓参りに訪れる。
民衆の感情としては、実際の領主である浅野家よりも、
毛利家贔屓になってくるわけです。

広島藩としても隣国の大藩とは仲良くしたいので、
墓参りを断るわけにもいかない。
とはいえ自領の吉田の民衆に、
領主は浅野家である」と知らしめなければなりません。
そこで吉田を支藩の居城(陣屋)とすることで、
吉田の民に領主は浅野家だという事を、
思い出させようとしたのです。

そういうわけで、文久3年9月より8ヶ月掛け、
総工費銀約1000貫、米約1500石、
建坪440坪の広大な陣屋が建てられました。


郡山」。
かつての毛利家の居城吉田郡山城は、
この郡山全域に及んだという。
はじめは砦程度だったものが、
毛利家の勢力拡大とともに拡張され、
山全体が要塞化していたようです。
後に毛利輝元広島城に拠点を移すまで、
毛利家の居城として機能していました。


広島県立吉田高等学校(安芸吉田陣屋跡)」。
安芸吉田陣屋は、吉田高等学校の敷地。
堀の跡が残っているらしいのですが、
よくわかりませんでした。


史跡 郡山城址」碑。
吉田高等学校より北西に進んだ道より、
郡山城へ登る事ができますが、
今回は時間の関係で断念。
この先に毛利元就の墓もあります。
ここに元就が晩年過ごした御里屋敷があったらしい。


毛利元就公像」。
地域振興事業団の第二事務所敷地内にある銅像。
毛利家は安芸の小領主に過ぎませんでしたが、
元就は権謀術数を駆使して中国地方の覇者となっています。


三矢の訓碑」。
少年自然の家敷地内にある碑。
一般的に知られる「三矢の訓え」は、
1本の矢は簡単に折れるが、
3本束ねると容易に折れないので、
兄弟が結束して毛利家を守れというもの。
元就は「三子教訓状」という書状を、
3人の息子に宛てて書いていますが、
三矢を絡めたような話は書かれていませんので、
後世の創作のようです。
とはいえ、吉川元春小早川隆景が、
毛利宗家を支えるという両川体制は、
「三矢の訓」そのものといえるでしょう。


法圓寺」。
安芸吉田陣屋跡には遺構建築物は残されていませんが、
同市の法圓寺に陣屋の馬見櫓が移築されています。


三菱窟」。
安芸吉田藩は明治2年に宗家に吸収され、
吉田陣屋は解体されて民間に払い下げられます。
この三菱窟は陣屋の馬見櫓として使用されていたもので、
学問僧として著名であった法圓寺住職が払い下げを受け、
学問所として利用されました。
三菱窟の名は移築後に名付けられたもの。
陣屋時代は茅葺であったようですが、
銅板葺に変えられていました。
現在は茶室として使用されているそうです。

幕末の藩主で7代浅野長厚は、
浅野家支流の子として生まれ、
幼少時に5代藩主浅野長訓の養子となります。
広島藩10代藩主浅野慶熾の早逝によって、
長訓は宗家を継ぐ事となり、
新田藩は同じく長訓の養子で従兄の浅野長興が継ぎますが、
再び長訓の養嗣子(後に広島藩最後の藩主)となった為、
新田藩は長厚が継ぐことになりました。
そんな矢先に、帰国と陣屋の建設が命じられました。

幕末の動乱によって新田藩から安芸吉田藩となりますが、
結局あまり目立った行動は見られません。
版籍奉還で広島藩に吸収されましたので、
実際にはカタチだけの藩だったのかもしれませんし、
長厚自体も明治6年に死去しており、
どのような人物であったのかもよくわかりません。

この吉田の地に藩庁を置く事が重要であったわけですが、
実際には長州藩が吉田を狙ったという事実も見られない。
取り越し苦労と言ってしまえばそれまでですが、
当の広島側からすれば、
何らかの手を打たざるを得なかったのでしょう。

現在でも広島の一般の人は「広島の殿様は?」と聞くと、
毛利元就!」と答える人が多く、
浅野家」の名が聞かれる事は少ない。
たしかにそういうものかもしれません。

【安芸吉田藩】
藩庁:吉田陣屋
藩主家:長賢流浅野家(青山浅野家)
分類:3万石、外様大名(定府)

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 こちらも「殿様は?」と問うと、真田家と答えるでしょう。

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