第42回「両雄激突」。
西郷の家には、欧州に留学する為、
菊次郎と市来宗介が身を寄せる。
大久保より文が届き、
不平等条約の改正は難航していると書かれ、
欧米の近代化の様子も記されていました。
菊次郎と宗介は欧州に旅立ち、
西郷は菊次郎に農業を勉強して来いと告げる。
ちなみに菊次郎はアメリカで農業学を学ぶのですが、
結局のところ農業に関係する職には就いていません。
片足で農業は無理だったのでしょうか?
政府では土肥のメンバーが主導権を握り始め、
西郷は改革の必要性を感じはじめる。
弟の従道は、岩倉使節団留守中に新政策を行う事を心配しますが、
民のためになることだから大久保も納得してくれると信じる。
井上馨が銅山を不正に差押えて私服を肥やしていることが発覚し、
井上は土肥のメンバーに糾弾される。
西郷は井上の辞職を促し、残るメンバーに改革の推進を宣言すると、
皆は賛同して「学制」、「徴兵令」、「地租改正」など、
次々と政策を進めていきます。
そんな中、皇居で火災が発生。
宮廷や太政官府が焼失してしまいます。
西郷自身も過労で寝込んでしまい休養を余儀なくされる。
これは明治6年5月5日に起こった皇城火災の事ですね。
明治天皇と皇后は赤坂離宮に非難し、
皇居が再建されるまで仮皇居としています。
一足早く帰国した大久保が西郷の許を訪れ、
土肥の連中に「あなたの居場所は無い」と追い返されたと語り、
産業革命を自ら見た大久保は留守政府の連中を追い出し、
また新たな政府を作ろうと西郷に言いますが、
西郷は留守を守ったのは江藤新平ら土肥の連中で、
彼らと共にやっていけば良いと否定。
大久保は政府を去ると言い残し去っていく。
西郷が復帰すると朝鮮国交問題が発生。
朝鮮に出兵するか否かで会議は紛糾。
結局、西郷の派遣で決着。
しばらくして岩倉使節団が帰国。
岩倉具視は明治天皇の言葉に落ち込みます。
伊藤博文は岩倉を慰めるため、綺麗どころがいると案内しますが、
そこに待っていたのは木戸孝允ら長州閥の面々。
岩倉は西郷と大久保の仲たがいの聞き、
「おもろなったやないか」のセリフ。
そこへ大久保が現れなにやら密談が始まります。
閣議が開かれ岩倉も参加。
そこに大久保が現れ西郷は喜びますが、
大久保は西郷の朝鮮派遣を反対し、
西郷に対して敵意の目を向けます。
まあ岩倉使節団に対しては評価の分かれるところ。
不平等条約の改正はなんら目的は達成できませんでしたが、
政府のトップの大半が実際に欧米を体験出来た事は、
日本の近代化に大きく貢献したことは間違いないでしょう。
ただ「留守にするから何もするなよ」ってのは、
流動的な政治において絶対に無理な話です。
江戸時代の留守居役や城代じゃあるまいし・・・。
こういうところは、江戸時代の考えが抜けていないのでしょう。
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