第8回「不吉な嫁」。
家族みんなで初詣?
小さな石の祠に皆で手を御合わせています。
初詣の習慣化はその頃になく、
明治中期のことらしいのですが、
こういう風習が薩摩にあったのでしょうか?
今年こそ良い年にと願う西郷家ですが、
須賀は自分が居たら良い年にならないと言う。
嫁いで1年も経たずに父母が死去したのは、
不吉な嫁だからだと噂されているとの事。
西郷は否定しますが須賀の顔色はさえません。
一番のご近所は大久保家なんですけどね。
※このドラマ内では。
須賀の嫁入り道具は質に入っているようで、
西郷家はその日の食事にまで困っている様子。
夕飯にウナギを取って来てと頼まれます。
そこまでのレベルって既にアウトのような。
その時、大久保が謹慎を解かれ、
記録書役にも復帰できると報告に来たので、
西郷らはそれを祝福します。
その頃、ペリー艦隊が浦賀に来航。
ペリーは幕府に白旗を贈り、
これを城に掲げないと砲撃を開始するとの事。
これでは完全に降伏勧告ですが、
ペリーが白旗を送ったというのは事実。
ただ、これは議論の分かれるところで、
普通は降伏する際に白旗を挙げますので、
多くの人が勘違いしていますが、
白旗は「降伏」ではなく、
「戦意は無い」という意味。
もちろん降伏にも使われますが、
停戦交渉にも使われます。
旗艦サスケハナも白旗は挙げておりますし、
「交渉の特使を派遣する時に使ってくれ」
という意味。
議論の分かれるところと言ったのは、
「白旗を贈る=降伏勧告」説の、
「高麗環雑記」が、
偽書だという疑いもある文書で、
その文書を信じるか信じないかによって、
白旗が贈られた意味合いが違ってくるから。
参勤交代途中の島津斉彬にもこれが知らされ、
斉彬は薩摩に帰って大砲を造れ、
長崎と江戸に船を送れと指令を発する。
重臣らは何故、長崎や江戸に兵を送り、
大砲造りを急がせているのかと尋ねると、
斉彬は薩摩の好機とするのだと言う。
「メリケンと戦をする訳にはいかないので、
対岸の防備を固めさせ、
対等な立場で談判に臨まねばならない。
開国になればいち早く兵を送った薩摩が、
新しい政治の一躍を担える」という。
・・そんな理由だったんですねぇ。
憂国の心からじゃなかったんだ・・。
なかなかの野望家ですねぇ。
ついでに篤姫を輿入れさせるとの事。
色々と斉彬が独断でやっているようですが、
本来は大奥から島津家に話があったようです。
11代将軍徳川家斉の正室篤姫(広大院)が、
薩摩藩8代藩主島津重豪の娘だったことから、
それにあやかろうとしたらしい。
西郷にも斉彬の伴として江戸行きの命が下る。
喜んで家族に伝える西郷ですが、
めでたいと喜ぶ家族をよそに、
須賀は支度金が30両掛かると難色の様子。
薩摩藩ではお殿様直々のご用命に手弁当??
薩摩藩をよく知らないのですが、
本当なら大変ですねぇ。
西郷は江戸行をあきらめようか悩みますが、
直々の招集を断る選択肢はあるのでしょうか?
で、大久保とその件で喧嘩しています。
あくる日、重臣の桂久武に呼び出され、
篤姫の共をせよとの事。
家族らは内職に精を出しますが、
須賀は意味が無いと里へ帰って行ってしまう。
篤姫の警護をした西郷は、
篤姫にお礼を言われる。
西郷のおかげでお殿様の娘になり、
薩摩とお別れすることになったとの事。
次は江戸で会おうと言われます。
大久保は西郷の為に金策に走る。
先に江戸に行った大山格之助と有村俊斎には、
30両もあったんかいな。
そんな西郷と変わらない身分と思うケド。
家族や仲間たちが集めた20両を見せられ、
西郷は江戸行きを決意します。
そこへ須賀とその父が現れ、
離縁を申し入れる。
選別という名の手切れ金を渡し去る須賀に、
西郷は「ありがとな」とつぶやく。
勘違いしていたのですが、
須賀が惚れてるのではなく、
父親の方が惚れていたんですね。
じゃあ、あの無愛想は辻褄が合います。
あと、前回の家事が苦手風の設定は必要?
別に無くても良かったような気かします。
さて、実際の西郷の離婚劇ですが、
正確な事はもちろんわかりませんが、
西郷の江戸詰で伊集院家が不憫に思い、
話し合って円満に離婚したようですね。
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