東京都日野市 宝泉寺/井上源三郎墓所

井上源三郎新選組六番隊組長。
千人同心世話役井上藤左衛門の三男で、
天然理心流近藤周助試衛館に入門し、
主に日野宿の佐藤彦五郎の設けた稽古場で、
日夜稽古に励んでいたとされます。

近藤勇らと共に浪士組に参加し、
京都にて壬生浪士組(後の新選組)を結成。
芹沢鴨粛清後は副長助勤となっています。
鳥羽伏見の戦いが勃発するとこれに参加。
淀千両松の戦いで戦死しました。
首級は甥井上泰助が持ち帰ろうとしますが、
重くて運べずに近くの寺に埋葬されます。
※伏見の欣浄寺門前とされる。

井上の墓は故郷日野の宝泉寺にあります。

宝泉寺」。
大雪に見舞われた後でしたので、
雪が多く残っていました。


宝泉寺 本堂」。
宝泉寺には持ち上げ観音という石仏があり、
廊下に安置されているようです。
 石仏を背負った僧が宝泉寺に一泊し、
 この石仏は持ち上げる重さによって、
 いろいろな願いを占ってくれると言って、
 そのまま石仏をお寺に置いて、
 どこへ行くともなく消えていったという。
 言う通りに色々なことを占ってみると、
 願いがかなったという。

井上も何か願い事をしたのでしょうか?


新撰組副長助勤 井上源三郎之碑」。
昭和46年に建立された井上源三郎の顕彰碑。
駐車場スペースに面した場所にあります。
左右にも石碑があるのですが、
風化していて何の碑かわかりません。


井上家墓所」。
日野の新選組関連の史跡には、
が建てられていてとても見つけやすい。
井上源三郎の兄井上松五郎や、
甥の井上泰助もここに眠っています。
井上泰助は源三郎の兄松五郎の次男で、
慶応3年に11歳で新選組に入りました。
隊内での役職は両長召抱人ということで、
近藤小姓のような立場であったようです。
鳥羽伏見の戦いにも参戦し、
叔父の戦死を見届けた後、
その首級を持ち帰ろうとしますが、
大人の首は重過ぎたようで、
やむなく近くの寺院に首を埋めたという。


誠願元忠居士」。
井上源三郎の墓。
上記のように淀千両松の戦いで戦死して、
首級は京都に埋められていますので、
この墓は慰霊碑となります。

鬼のような猛者が集う新選組にありながら、
井上源三郎には殺伐としたイメージはなく、
温厚な人物という風に思われていますね。
隊内でも客の応接などを務めており、
そういう面でも信頼されていたようです。
しかしながら天然理心流に入門してから、
13年の努力でやっと免許を得たり、
屯所でも日々の鍛練を欠かさなかったり、
撤退の命を受けても留まって戦死したりと、
彼なりに剣に命を懸けていたのでしょう。

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