佐藤彦五郎は日野宿の名主下佐藤家の当主で、
土方歳三の実姉の夫でもあります。
天然理心流試衛館の近藤周助の門人となり、
自宅の一角に出稽古用の道場を設けました。
そこに近藤勇らが出稽古に訪れたようですが、
たぶん本道場(記事はこちら)より、
良い環境だったのではないでしょうか?
近藤勇とは義兄弟の契りを結んでおり、
日野宿名主として動けない立場の佐藤は、
金銭面では支援を惜しまなかったようです。
「大昌寺」。
日野宿創設時に隠居していた讃誉上人が、
住民に懇請されて創建した寺。
この寺の墓地に佐藤彦五郎の墓があります。
「本堂」。
墓地は本堂に向かって左側にあります。
「玉川居響誉祐翁居士」。
狂歌師玉川居祐翁の墓。
玉川居の旧名は中村太吉。
日野宿の旅館の三男として生まれ、
小料理屋を営みながら佐藤彦五郎の道場で、
近藤らに天然理心流の剣術を学びました。
試衛館メンバーが浪士隊に参加すると、
これに加わって京に出ますが、
浪士隊の分裂の際にどちらにも与せず帰郷。
後に農兵隊に入隊して武州一揆の鎮圧に参加。
帰郷した近藤らが結成した甲陽鎮撫隊に、
春日隊の一員として参加しています。
維新後は狂歌師二代目絵馬屋額祐に師事し、
俳句、狂歌、狂句を学び、
明治10年に三代目絵馬屋額祐を名乗りました。
晩年は絵馬屋の号を弟子に譲り、
玉川居祐翁と名乗っています。
「佐藤家之墓」。
下佐藤家の墓。
彦五郎もここに眠っています。
佐藤彦五郎は春日盛と名乗り、
日野の農兵隊を率い甲陽鎮撫隊に参加。
甲州勝沼の戦いに敗れて潜伏しましたが、
日野宿有志の歎願により許され、
新選組組隊士の復権と顕彰に尽力しました。
佐藤彦五郎の妻のぶは土方歳三の実姉。
竹を割ったような性格で、
土方との仲は非常に良かったとされています。
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近藤の首が埋葬されたと伝わる墓所。