第22回「偉大な兄 地ごろな弟」。
大久保の尽力により奄美大島より戻された西郷は、
大島三右衛門と名乗り、
薩摩藩の国父となっていた島津久光に拝謁。
京への出兵に意気揚揚とする久光に対して、
西郷はその中止を進言。
久光が薩摩より出た事がなく、同志がいない事を指摘し、
共に立とうとする同志がどれだけいるのかと問い、
久光に退席を命じられました。
いや、ストレート過ぎだし無礼過ぎでしょ・・・・?
大久保のメンツ丸つぶれです。
大久保と喧嘩しその夜の復帰祝いも微妙な雰囲気。
有馬新七がやってきて、
久光とぶつかったらしいなという話になると、
西郷は「お会いしてようわかった。
国父様は自分の器が見えてない」と、
先ほどの会話はディスっただけなのに、
何でそう思ったのかよくわからない批判をします。
で、「出兵しても日本は変わらん」
「今は国内で血を流すべきではない」と、
もっともらしい事を言いますが、
「今はこらえて策を練る事だ」と締めくくる。
なんじゃそりゃ。
結局、出兵は予定どおり進み、
西郷は露払いとして下関に先発。
有馬らは脱藩します。
大久保は有馬らの脱藩を止めるために、
土下座で止めようとするのですが、
もちろん止まりません。
他の大河でもそうなのですが、
この「西郷どん」の西郷や大久保は、
やたらと土下座を連発しますよね。
なんだか土下座の重みが薄いと感じます。
武士はもっと誇り高いものしょう。
西郷は下関に赴き、白石正一郎に会います。
白石に弟の信吾が京に上がったと聞かされて驚く。
信吾は有馬と共に行動しているらしいとの事。
信吾は京で活動中。
「信吾さあ」と声を掛ける志士に、
「西郷でよか。西郷どんとでも呼んでくれ」と言う。
わざわざ通称で呼んでいるのに、苗字で呼べって変じゃない?
「さあ」は「さん」で、「どん」は「殿」。
西郷殿と呼べって事です。他人行儀ですね。
内田有紀扮するおゆうが登場し、
西郷の弟だから「小西郷」と呼ばれてしまいます。
いや・・本人の前で言っちゃだめでしょ?
少なくともこの時点では・・。
西郷は白石邸で志士らに久光の上洛と共に、
各地の志士達が動き出している事を聞く。
西郷はそれに危機感を覚え、久光の命に背いて京に向かう。
西郷が久光との対面時にのたまった
「どれだけ一緒に立つ者がいるのか?」
という意見は普通に覆されています。
京で再びお虎登場!
いや、ほんとにガヤ役じゃなく、
ちゃんとエピソード入れてほしいですね。
志士らは「重之屋」に集まっており、
信吾もそこの上客との事。
信吾はおゆうに兄を褒められ自分はディスられている最中、
西郷が乱入してきます。兄弟喧嘩の末に信吾は逃亡。
西郷はおゆうに有馬の居場所を聞き(おゆう口軽いな・・)、
有馬と直接話し合う。
討幕の志を持つ有馬らに対し、
討幕の後はどうするのかと問う西郷。
有馬は「やったらどげんするというとじゃ?」と問う。
ごもっともです。
それを「今はおはんらの命おいにあずけれくれやい」
と会話にならない答え。
でも、結局のところ有馬は納得してしまう。なんで?
その夜。西郷は信吾と仲直りしますが、
下関に2つもある本陣(伊藤家と佐甲家)には泊まらず、
なぜか白石邸にお泊りの久光は、
西郷が京へ上った事を聞き大激怒。
西郷を切腹させると息巻きます。
ごもっともですね。
さて、昨今の幕末モノのドラマでの志士達の行動や言動に、
違和感を覚えるのは何故でしょう?
それは尊皇攘夷思想を全て「攘夷」にすり替えているから。
外国の脅威だけで志士らが行動していて、
「尊皇」や「勤皇」という重要な要素を排除している為、
志士らがやってる事に辻褄が合わなくなってしまう。
よく聞く「幕末モノはわかりづらい」という意見。
そりゃそうですよ。
しっかりと説明せず「尊皇」をごまかしてるんですから。
こういうのはTVサイドの自主規制なんでしょうね。
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