島原藩4代藩主松平忠誠は、
シーボルトの高弟賀来佐一郎を招き、
藩の医学校済衆館の敷地に、
薬園を整備させ薬草を栽培させました。
しかし手狭で栽培条件が良くなかった為、
弘化3年に飯島義角を薬園主任として、
眉山の麓に大規模な薬園を造らせました。
「旧島原藩薬園跡」。
奈良の森野旧薬園、
鹿児島の佐多旧薬園と共に、
日本三大薬園と呼ばれていますが、
他の薬園跡に比べ遺構をよく留めており、
発掘後に復元や整備が行われました。
薬園内。
現在も薬草を栽培しているようで、
農作業をしている人達がちらほら。
どこにでもある段々畑のようです。
薬園を囲む石垣。
軍事施設かという程の厳重な石垣。
島原藩は栽培した薬草を売って、
財源とする方針だったらしい。
貴重な薬草の盗難を恐れたのでしょう。
■関連記事■
・長崎県島原市 島原城①
島原藩深溝松平家の居城跡。
・愛媛県西予市 卯之町①/二宮敬作関連史跡
二宮敬作は薬草を栽培していました。
・長崎県島原市 松陰来訪地と武家屋敷水路
島原藩の城下町。