愛媛県西予市 卯之町①/二宮敬作関連史跡

①/

卯之町重要伝統的建造物群保存地区で、
古くは伊予西園寺氏の城下町であり、
西園寺氏の滅亡後は、
宇和島藩の在郷町として栄えた他、
宇和島街道の宿場町として発展しました。


卯之町の街並み」。
現在も江戸中期~昭和初期の建造物が、
良好な状態で残されています
ここで蘭学者二宮敬作が開業し、
楠本イネが医学を学びました。


宇和町卯之町周辺。
A.二宮敬作先生住居之跡
B.高野長英の隠家
C.二宮敬作翁碑


二宮敬作先生住居之跡※地図A」。
地図Aの位置が二宮敬作住居地跡。
鳴滝塾で蘭学や医学を学んだ二宮は、
シーボルト事件に連座してしまい、
追放処分を受けて故郷の磯崎に帰ります。
その後に卯之町で医院を開業し、
シーボルトの娘楠本イネを呼び寄せ、
養育しながら医学を教えました。

碑の場所からすぐ北の小道を曲がると、
高野長英の隠家が見えてきます。

高野長英の隠家※地図B」。
蛮社の獄で捕えられた高野長英は、
牢屋敷の火災に乗じて脱獄した後、
同門の二宮を頼っています。
二宮は高野を藩主伊達宗城に推薦し、
高野は蘭学書の翻訳や、
藩の兵制改革に従事しました。
しかし幕吏の追及が迫ると逃亡し、
この二宮敬作宅の離れに潜伏。
ここはイネが寝泊まりしたとも。
※高野潜伏当時は二宮の許を離れています。

碑のあった通りに戻って北へ進み、
宇和先哲記念館を通り過ぎて、
右手が山、左手が学校の細道を進む。

神武天皇立像※地図C」。
地元の彫刻家白井雨山神武天皇像
白井は東京美術学校(現東京芸術大学)に、
彫塑科を新設した彫刻の父です。


薬草園」。
二宮敬作は薬草を栽培するにあたって、
大念寺山の借用許可を宇和島藩から得て、
大念寺周辺に薬草園を営みました。
朝鮮人参サフランオウレン
ハナスゲ甘草などの薬草を栽培。
近郷の医師にも薬草を分けていたとされ、
大量に栽培されていたようです。
ここはその事に因み造営された薬草園。


二宮敬作翁碑」。
二宮敬作の顕彰碑。
卯之町での二宮敬作は老人には懇切丁寧、
貧乏人には金を取らずと皆感涙したという。
安政5年に再び長崎に赴いて開業し、
シーボルトが再来日した際には、
立派な産科医師となったイネを見て、
二宮の恩に感謝して泣いたとされています。

①/

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