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卯之町は昔の建物が良好に保存されており、
綺麗な町並みを残しています。
雨山公園から開明学校へ。
宇和町卯之町周辺(開明学校の場所)
開明学校は四国最古の小学校。
安政5年に漢学者左氏珠山が塾を開き、
地元の子弟に漢学を教えていましたが、
明治2年に藩校明倫館の教師に任命され、
卯之町を後にすることになります。
卯之町を出ていく珠山は子弟達に、
「これから誰に教えてもらえばよいのか」
と泣き付かれた為、
八幡浜に住む師の上甲振洋に手紙を書き、
塾を継いでくれる様に手配した為、
子弟達は喜んで校舎[申義堂]を建設し、
新しい師となる上甲を待ちました。
ところが上甲にも藩から辞令が来て、
卯之町へ来られなくなってしまう。
この状況を聞いた珠山は役所に働きかけ、
申義堂を郷校とすることにし、
藩から教師が派遣されるようになります。
そして明治5年に開明学校と改称され、
明治15年に現存する校舎が完成。
戦後まで使用されていたようで、
現在は保存されて博物館となっています。
「開明学校」。
木造2階建、寄棟造桟瓦葺の擬洋風建築。
○○風というものを造ってしまう技術は、
日本人特有の技術でしょう。
「申義堂」。
こちらは申義堂。
木造平屋建で教師住居も兼ねた建物。
珠山の教え子が建てたものという。
夏目漱石の坊ちゃんに登場する漢文教師は、
珠山がモデルとのこと。
開明学校の石垣の脇の細道に、
何やら案内が書いてあるなと思ったら、
[二宮敬作翁墓地]とあります。
「青雲院徳光如山居士」。
中央の墓石が二宮敬作と妻、長男逸二の墓。
本墓は長崎の皓臺寺にありますので、
こちらは遺髪墓が慰霊墓でしょう。
二宮は直接開明学校には関係ありませんが、
墓所は開明学校の真裏にあり、
校舎が見下ろせる位置にあります。
卯之町周辺はどこも絵になります。
行きかう人々は皆が笑顔で挨拶。
なんとも微笑ましい気分になりました。
ちょっと面白いものを見つけました。
飾り瓦が[大根]です。
なんとも可愛らしいデザイン。
「松屋旅館」。
松屋旅館は江戸時代から続く旅籠で、
数多くの著名人が宿泊しました。
漬物を販売している事でも有名ですが、
訪問時はまだ開いていませんでした。
前島密、新渡戸稲造、後藤新平、
犬養毅らが宿泊したという。
卯之町の景観が保存された理由として、
列車駅の開設や国道の開通に伴って、
町の中心が南方へ移動した為。
しかしながら忘れ去られた街ではなく、
時がゆっくりすぎる街といった雰囲気。
とても良い町でした。
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■関連記事■
・愛媛県宇和島市 宇和島城
卯之町は宇和島藩領でした。
・愛媛県宇和島市 大村益次郎住居跡
大村は二宮の推挙で召し抱えられました。
・山口県柳井市 白壁の町並み
こちらも美しい街並み。