長崎県島原市 島原城①

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島原藩の藩庁である島原城は、
なんとも不思議な城です。
4~6万5000石規模の藩でありながら、
五層五階の巨大な天守を持っていましたし、
その割に連郭式の2つの郭が並んでいるだけで、
本丸は堀で遮られているものの側面はがら空き。
しかも廊下橋によって二ノ丸と繋がっているのみで、
橋を落とされると逃げ場が無くなり、兵糧攻めは容易い。
とても城の機能を果たしているとは思えません。
また現在においても、他の城と比べて珍しい箇所が多くあります。

この不思議な城へ今回は行ってみました。

島原城入り口」。
島原城の駐車場は本丸にあります。
これもかなり珍しいですね。
しかも入り口は石垣を取り払って増設したもの。


島原城天守閣」。
入り口から車で城内に入るといきなり現れる天守。
破風のない南蛮式の天守で、巨大ながらとてもシンプル。
鉄筋コンクリート製外観復元天守ですが、
このような天守がここに本当にあったというのだから驚き。
天守の脇に車を駐めるなんて初体験ですね。


西三重櫓」。
先ほどの入り口から見えた櫓。
中は城の絵とかコケシとかが展示しているようです。


戊辰役以後殉國之霊位」零標。
櫓の脇に設置されている戊辰戦争以降の地元戦没者名簿。
なんでこんなところにあるのでしょうか?


戊辰戦争で戦死した島原藩士4名も刻まれています。


巽三重櫓」。
北村西望記念館として使用されています。
北村西望は島原出身の彫刻家で、
長崎の「長崎平和祈念像」や、
国会議事堂内の「板垣退助翁」像などが代表作。
櫓周辺には北村の作品が並べられています。


天草四郎」像。
北村の作品のひとつ。
島原城は島原の乱で一揆勢に攻められますが、
島原藩は篭城してこれを撃退しています。
一揆勢は城下を焼き払って略奪を行ったのみの様で、
攻城はせずに引き上げており、
南下して原城跡に立て篭もりました。
これに天草で蜂起した一揆勢が合流するわけですが、
天草四郎は天草側の一揆勢の大将でしたので、
島原城攻撃には参加していません。

4万石の大名であった島原藩主松倉重政は、
10万石クラスの規模を持つ島原城を建設するため、
領民に過重な年貢や労役を課しました。
これが島原の乱の要因のひとつでしたので、
原城に篭城せずに領民を苦しめる象徴である島原城を、
やはり落すべきだったのではないかと思いますね。

島原城は重政が島原に転封してきた際に、
藩庁の日野江城が不便であった為に新たに築城した城で、
4万石大名には分不相応な規模の城でした。
この城を建設するために過酷な搾取を行うわけです。
重政の跡を継いだ2代藩主松倉勝家もこれに倣い、
先代を凌ぐ過酷な収奪を行って領民を苦しめました。
凶作の年も年貢の取り立てに容赦なはく、
年貢を納められない領民には、人質を取ったり拷問したりと、
悪政の限りを尽くしたようです。

これにキリシタンへの残忍な弾圧も加わり、
日本史上最大規模の一揆である島原の乱が勃発するのでした。

次回に続く。
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