元治元年2月。
四国連合艦隊が下関攻撃を決定した為、
外国側と交渉してこれを回避するべく、
幕府より調停役を命じられた勝海舟は、
総勢47名の大所帯で長崎に向かいます。
この一行に坂本龍馬ら勝の門弟も同行し、
龍馬は初めて長崎を訪れる事になりました。
2月14日に一行は翔鶴丸で神戸を出帆し、
翌15日には瀬戸内海を渡り佐賀関に到着。
そこから陸路で熊本まで進んで、
高橋宿より船で島原に到着します。
「龍馬上陸の地」碑。
勝ら一行の船は南側の南風泊に入港し、
小船に乗り換えてこの船津に上陸して、
船番所に寄った後に長崎を目指しました。
またこの港には嘉永3年12月9日に、
吉田松陰が熊本に向かっていますが、
これについては碑で触れられていません。
南風泊という聞きなれた言葉を、
島原で聞けるとは・・。
僕の住む下関にも南風泊があって、
フグの水揚港として全国的にも有名。
下関は南風で停泊するという意味ですが、
※記事はこちら。
こちらは島が風除けとなるという意味で、
この頃は島原唯一の港町だったようです。
※追記:この場所は後に埋め立てられ、
訪問時のような船溜りは無い模様。
■関連記事■
・大分県大分市 佐賀関/海舟龍馬宿泊地
勝一行は佐賀関より島原へ向かいました。
・彦島について②
下関の南風泊について。
・長崎県島原市 島原城①
島原藩深溝松平家の居城跡。