長崎県島原市 島原城②

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原城に立て篭もった天草四郎率いるキリシタン一揆勢が、
幕府軍の総攻撃によって皆殺しにされ島原の乱は終結。
乱の責任を問われて島原藩松倉家は改易となり、
藩主松倉勝家斬首されることとなります。
江戸時代を通じて大名の斬首はこの一件のみで、
幕府も勝家の罪は重大であると認識したのでしょう。

代わって入封したのは譜代大名の高力忠房
徳川家光の信頼厚く、乱で荒廃した島原の復興を任され、
忠房はその期待に答え、年貢免除移民奨励等の政策を行い、
見事に島原を復興させています。
しかし次代の高力隆長は、父の善政を範とせずに悪政を敷き、
領民の訴えで改易されました。
幕府のその迅速な対応は、島原の乱の記憶によるものでしょう。

その後、福知山藩から松平忠房が6万5千石で島原に入り、
減税農政改革で領内の安定化を図り、
以後5代にわたって安定的に島原藩を経営しました。
代わって2代ほど宇都宮藩から戸田家が入封した後、
再び松平家が島原に戻って以降は、
幕末まで松平家が島原藩の藩主家として支配しています。


御馬見所」。
幕末の藩主松平忠和が、
藩兵の訓練状況視察に使用したもの。
元々三ノ丸にあったものを本丸に移築しています。
この御馬見所があった場所は、
現在も調練場と呼ばれているとのこと。


丑寅三重櫓」。
民具資料館として使用されています。
本丸にあった3つの三重櫓は全て復元されており、
天守をあわせて4つの櫓がある風景は珍しい。


本丸の下層部は梅園となっています。
ちょうど良い季節に訪問できたようで、
梅の香りが心地よい。


キリシタン墓碑」。
島原市内より出土したキリシタンの墓碑を集めたもの。
中央のくりぬかれた半円のものは、
手水鉢に転用されていたらしい。


本丸の虎口だった場所にも梅が植えられています。
普通、大手門はそれらしく整備されているものですが、
そんなの関係なしに梅が植えられているは珍しい。
迷路のようになってるらしいのですが、
あまりにも梅の木ばかりでなにがなんだか・・・。


廊下橋跡」。
本丸と外部を結ぶ唯一の橋であった廊下橋の架かっていた場所。
向こう側が二ノ丸で、現在は島原文化会館が建てられています。


島原城は堀の中を歩けます。
二ノ丸内は遺構は無いようなので、
この堀を歩いてみました。
堀から城を見上げれるってのも珍しい。


左側が二ノ丸で、右の石垣の向こうが三ノ丸。
三ノ丸は現在島原市立第一小学校となっています。


堀の中に日本庭園があるのってシュールですね。


再び本丸へ(駐車場が本丸なんで)。
せっかくなんで天守閣に登ってみました。
1Fはキリシタン資料、2Fは島原藩関係資料
3Fは民族資料となっており、見ごたえはあります。


天守閣からの眺め。遥か海の向こうに熊本が見えました。

幕末の島原藩は、
安政6年に5代藩主松平忠精が死去して以降、
6代忠淳、7代忠愛と早世が続きます。
最後の藩主松平忠和は、水戸藩主徳川斉昭の16男で、
15代将軍徳川慶喜の異母弟で、当然佐幕派でした。
藩論も佐幕の方針を執っていますが、
藩内で平田派国学による尊皇攘夷派「激烈隊」が組織され、
佐幕的な藩論を尊攘に転向させようとしますが、
藩上層部は保守派で固められて失敗しています。

尊攘派藩士らの多くは脱藩して上京し、
京都等で尊攘運動を展開。
保母建尾崎靖らは、天誅組に参加して大和で挙兵し、
梅村真守伊藤益荒らは、天狗党の乱に参加しています。

丸山作楽は私塾神習処を開いて尊攘派藩士を増やしますが、
藩政府は丸山を忌避して謹慎処分としました。
藩内尊攘派は保守派中老松坂丈左衛門を暗殺しますが、
藩論を転向させるまでには至らず、
結局、島原藩は2度にわたる長州征伐に参加し、
幕府の瓦解まで佐幕的な行動を行っています。

その後、新政府に恭順。戊辰戦争に159名の藩兵を送り、
秋田戦争などを転戦して4名の戦死者を出しました。

島原城は、他の城跡には無い不思議で珍しい箇所が多い。
特に本丸は天守のほか三層櫓を全て復元しており、
ありし日の城のイメージが違和感なく想像できます。
他の城も復元するならこれくらいして欲しいものですね。
堀の高石垣も見事ですし、堀の中に入れるのも良い。
石垣を一部ブチ壊して本丸に直接入れるようにしているのは、
非常に珍しいしある意味ですごく良かったのかも。
実際、あまり期待せずに訪問したのですが、
城内の散策はとても楽しかったです。

【島原藩】
藩庁:島原城
藩主家:深溝松平家
分類:6万5000石、譜代大名

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