鹿児島県では知られている事ですが、
現在陸続きとなっている桜島は、
幕末当時は大隅半島と離れた島でした。
明治35年の桜島。
現在の桜島。
陸続きとなったのは、
大正3年の大正大噴火が原因で、
溶岩が桜島と大隅半島を繋いだ為。
大量の噴石が島内全域に降り注ぎ、
東西に火砕流と溶岩が流れ出し、
麓の村々を焼き尽くし、
死者58人を出す大惨事となります。
東側に流れ出た桜島の溶岩は、
桜島と大隅半島の間の瀬戸海峡に流れ込み、
深さ72mもあったとされる海峡を、
埋め尽くしてしまいました。
こうして桜島は陸続きとなったわけですが、
実はこの現在存在しない瀬戸海峡には、
瀬戸村造船所という薩摩藩の造船所があり、
日本初の本格的洋式軍艦「昇平丸」の他、
「大元丸」「承天丸」が建造されました。
その瀬戸村造船所のあった瀬戸村も、
流れ出た溶岩の餌食となっており、
溶岩の陸地に埋もれています。
「黒神埋没鳥居」。
黒神地区にある溶岩で埋没した鳥居。
黒神にある腹五社神社の鳥居で、
元々は3mもあったという。
溶岩の恐ろしさを伝える遺跡として、
当時の村長が残すことに決めたらしい。
桜島は現在も活動を続ける活火山です。
噴石が落ちてくることもあるようですし、
至る所に噴石の避難場所も設けられており、
小学生がヘルメットをかぶっていました。
しかし鹿児島の人々にはこの火山に対し、
誇りを持っているのが感じられ、
共に生きていく気持ちが伝わってきます。
薩摩隼人の気質というのは、
桜島あってこそなのかもしれませんね。
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鹿児島県初の記事。