青森県三戸郡 三戸宿跡

三戸宿奥州街道の99番目の宿場町。
南部家の居城三戸城の城下町で、
盛岡城に拠点が移ってからも廃城されず、
城代が置かれ支城として維持されます。
正式に支城として認められたものではなく、
南部家の聖地的な場所として管理され、
石垣補修や掃除などが行われたようで、
※後に城代は廃止され代官支配となります。
在郷町に変化して宿場にもなっています。


三戸市街周辺。緑の線が街道筋で、
色を変えてぼかした3つの場所は、
上から三戸宿六日町二日町八日町です。


三戸宿跡」。
スーパーもあったりと地域の中心地のようで、
往時の遺構のようなものはありませんが、
江戸期の建築では?と思われる建物が、
数件見受けられました。
継立は八日町と二日町が月交代で行い、
八日町、二日町、六日町で定期で市が開かれ、
非常に賑やかな市宿でした。


観福寺山門(旧三戸代官所門)」。
三戸城山麓にあった三戸代官所の門で、
延享4年(1747)の建替の際に移築されたもの。
三戸代官所は三戸通を管轄する機関で、
※「通」は盛岡藩の行政区。
二日町東側のNTT東日本辺りにありました。
戊辰戦争後に周辺は斗南藩領となっており、
短期間ですが斗南藩の代官所となっています。

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