奥州街道の下野国と陸奥国の国境に、
それぞれ2社の境の明神が並立しています。
「下野国/陸奥国国境」。
国道294号線の栃木県と福島県の県境。
栃木県側からの撮影。
街道はこれより奥州に入ります。
「境の明神(下野側)」。
下野国側の境の明神。
天喜元年(1053)の創建と伝えられており、
紀州の玉津島神社から勧請されたという。
道中安全の神として旅人が参拝したという。
「従是白川領」領界石。
白河藩久松松平家3代松平定信により、
国境に建てられたとされる領界石。
「境の明神(陸奥側)」。
創建時期は不明。
現在の社殿は弘化元年(1844)の再建です。
この2つの明神の祭神ですが、
下野側では下野側に玉津島明神を祀り、
奥州側は住吉明神を祀っているとされ、
陸奥側では陸奥側に玉津島明神を祀り、
下野側は住吉明神を祀っているとされます。
これは住吉明神が嫌われているとか、
玉津島明神の方が好かれているとか、
そういう話ではないようで、
女は内を守り男は敵を防ぐという考えから、
自分達の側(内)が女神(玉津島明神)で、
相手側(外)が男神(住吉明神)となりました。
「南部屋石井七兵衛宅跡」。
陸奥側の境の明神の道向いは、
関守であった石井七衛門宅がありました。
小休所にもなっていたようで、
八戸藩初代南部直房が参勤交代の際、
境の明神に詣でた後で石井家で休憩し、
名物の千代餅を食べたと伝わっており、
以降は必ず寄るようになった為、
南部屋を屋号としたという。
この国境は二所ノ関と呼ばれますが、
古代の街道東山道に白河の関がある為、
こちらの関は二所ノ関と呼ばれたとか。
厳重な関所があった訳ではなさそうです。
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