県道252号福浦港金比羅線は、
金比羅トンネルから筋ヶ浜を経て、
彦島大橋を渡って彦島に入り、
彦島トンネルを抜けて福浦湾に至ります。
現在は通勤道路となっていますが、
実は意外に眺めが良い。
本土側の断崖絶壁、小瀬戸、南風泊湾、
そして夜景・・。
通るのは地元民が殆どですので、
あまり焦点は当てられませんが・・。
さて金比羅トンネルの上に、
金比羅公園なる公園があるのは、
なんとなく昔から知ってはいましたが、
子供を遊ばせるなら老の山公園で良いし、
イマイチどこから入るのかわからず、
地元ながら一度も行った事が無い。
そこで今回は家族と共に、
この金比羅公園に行ってみました。
実はこの公園がある金比羅山には、
吉田松陰が海防視察の際に訪れており、
一度行かねばと思いつつ、
今日に至っていた次第です。
金比羅町周辺。中央が金比羅山です。
この金比羅山は明治後期に要塞化され、
金比羅山堡塁となってしまいました。
従って江戸期の原型は留めておらず、
どちらかというと戦争遺跡になります。
「金比羅公園」。
南側の筋川町辺りから車で登ると、
入口に駐車場があります。
ここはかつての金比羅山堡塁の入口で、
そのまま公園の入口となっています。
地図を見るとわかるように、
公園は堡塁のカタチそのまま。
かなり大きな堡塁だったようです。
公園内は普通の芝生広場。
少々の遊具とグラウンドがありますが、
それ程何かある訳ではありません。
トイレが汚くて古いのが残念なところ。
土塁の跡も残っています。
この金比羅山堡塁には十二糎加農砲4門、
二十八糎榴弾砲8門、機関砲4門が置かれ、
明治26年に竣工したとのこと。
大正、昭和期には縮小していますが、
終戦まで演習砲台に利用されたようです。
関門海峡(当時は下関海峡)は、
瀬戸内海の玄関口となっていた為、
敵艦の海峡通過を阻止を目的とし、
大規模な要塞が築かれていました。
公園の西側は木々で視界は悪く、
海は臨む事は出来ませんが、
東側は開けて街並みを臨む事が出来ます。
海峡メッセや関門橋等も見えますし、
風が心地よく吹いていました。
吉田松陰は嘉永2年7月18日、
伊崎から筋ヶ浜を通り金比羅山に登り、
ここにあった狼煙場を視察しています。
松陰は北側の武久を見下ろしたようで、
その先の北浦の海も見えたと記載。
金比羅山を下りた松陰は、
おそらく浜側ではなく内陸の道を進み、
新地会所に向かったと思われます。
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