酢の醸造を生業とした奈良屋は、
赤間関西ノ端(田中川の東側)にありました。
その店の当主入江和作は大年寄も務め、
赤間関に来訪する志士らを支援し、
特に高杉晋作を金銭面で支えています。
功山寺挙兵の際には軍資金を提供し、
四国亡命の際も逃亡資金を用意しました。
「入江和作邸跡(龍馬と下関 説明板)」。
唐戸のスクランブル交差点前にあります。
建っている場所が歩道なだけに、
正確な奈良屋の位置はよくわかりません。
とはいえこの辺である事は確か。
奈良屋は資金力が豊富だったようで、
おうのの見受金も提供したという。
更に逃亡中の晋作に追加支援も行い、
自身も危うい目にも遭いました。
更に野村望東尼も匿っており、
晋作関連の資料には結構登場します
しかし奈良屋は明治期に潰れており、
国事に支援しすぎたのか、
御一新で逆風が吹いたのか、
晩年は寂しい寂しいものだったとされ、
明治38年に73歳で死去。
引接寺の墓地に葬られれました。
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