下関市中之町 引接寺~伊藤家・入江家墓所


引接寺」は、元々は小早川隆景の菩提寺で、
朝鮮通信使の宿泊所として使われたり、
日清講和会議で李鴻章らの宿所としても使われたりと、
大変に由緒正しい寺です。
長府報国隊の屯所にもなっており、
長府毛利家の菩提寺と同等の寺格でした。

残念ながら当時の本堂は、戦火で喪失してしまっていますが、
三門は江戸後期のもので、市の指定文化財になっています。

境内の墓地は非常に広く、
古いものから新しいものまで多くの墓石がならび、
○○屋の屋号のついた墓石も多く見られ、
古くより交易で栄えた唐戸の商人達の菩提寺だったと思われます。

ここに伊藤助太夫入江和作の墓があるとのこと。
両名の墓を散々探し回ってみましたが、
広い墓地だからかなかなか見つけられなかったのですが、
住職に聞いてみると、親切に場所まで案内してくれました。
本堂の左裏手にあります。


本陣伊藤家墓所」。
住職に教えてもらったのは場所のみ。
どれが伊藤九三の墓なのか知らないようでしたので、
墓石に掘られている文字を確認してみましたが、
幕末の当主伊藤九三(助太夫)盛正の墓は無い。
※後で調べてみると別に下関市本町の空月庵にあるらしい。
残念・・リサーチ不足でした。

伊藤助太夫盛昭という人の墓はありましたが、
明和四丁亥年と書かれており、1767年の江戸中期の人でした。
伊藤九三(助太夫)盛正の先祖のようです。

さて、伊藤家墓所の横には、入江和作の墓があります。


入江家先祖代々之墓」。
こちらは正真正銘入江和作の墓のようですが、
先祖代々の墓となっています。
入江和作の「奈良屋」は明治期に没落したらしいので、
入江家の墓所も集約されて「先祖代々」となったのでしょうか?
墓石の裏には入江と掘られた墓石が積みかさなっていることからも、
そのように推測できます。

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