下関市本町 空月庵跡 伊藤助太夫(九三)墓所

引接寺にあった本陣伊藤家の墓所に、
伊藤助太夫(九三)の墓が無かった(記事はこちら)ので、
調べてみると「墓所は下関の空月庵」とありました。

ネットでは助太夫の墓は引接寺だと書かれていたり、
空月庵だと書かれていたりでしたが、
引接寺に行ってみて助太夫の墓が無い事は確認できましたので、
空月庵の方が正解であろうとネットで住所を検索しますが、
「下関市本町1丁目」「下関本町3丁目」等どれが本当なのか・・。

ほんとネットって信用なりませんよね。
いろんなところからソースをコピーするもんだから、
デマや間違いが平気で広まります。
ちゃんと足で調べなければ・・。

で、本町1丁目と3丁目を探していたらありました。
ここで間違いない住所を載せときます。
山口県下関市本町1丁目10」これが空月庵跡の住所。


空月庵跡」。
土に埋もれて下の方が見えなくなっています。

空月庵は長府の浄岸寺(今の大乗寺)の末庵で、
本町周辺が本陣伊藤家の支配領地だったことから、
伊藤家が保護するうちに自然に伊藤家の自仏堂となり、
伊藤家の墓所も空月庵に作られました。
(引接寺の墓所はそれ以前の墓所なんですね)

この空月庵には、女芭蕉の異名を持つ女流俳人田上菊舎が、
1年ほど滞在していました。
下関で住居を探している際、当時無住であったここを紹介され、
住まいとしたようです。
空月庵の名前は彼女が名付けたということですが、
それ以前は何て名前の寺だったのでしょうね。
このへんの地名が昔「山の寺」だったことから、
ただ山の寺と呼ばれていただけで、名前が無かったのかな?


伊藤家墓所」。
少し登ると立派な墓石郡が見えてきます。
伊藤家は町人ながら鎌倉時代から続く下関屈指の名家で、
交易の町下関の指導者的な地位にあり、
大年寄として町政を掌っていました。
また本陣も兼帯し、邸宅は九州大名の参勤交代の休泊所とされ、
各藩の用達も行っています。

大名の本陣以外にも、江戸に参府する蘭人の定宿でもあり、
ヅーフ・ハルマを書いたヘンドリック・ドゥーフや、
出島の商館長ヤン・コック・ブロンホフ
蘭医フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトも、
この伊藤家に滞在しています。

墓地には伊藤家の人々の他に、
庄内出身の蘭医山口行斎の墓もあります。
行斎は長崎で蘭医学を学び、帰郷途中に伊藤家に訪れたのが縁で、
当時の当主伊藤杢之允の後援で下関で開業。
非常に流行って門下生の100人以上もいたそうです。
その後、望郷の念を抑えきれずに帰郷する途中、
大阪で病に倒れて死去しました。


山口行斎之墓」。
(写真撮ってたんですが、ボケてましたのでネットで拝借)


伊藤九三盛正墓」。
探していた伊藤九三の墓は、一段高い場所にありました。
伊藤九三と坂本龍馬の関係が親密なことは、
現存する龍馬の手紙が2番目に多いことからもわかります。
(一番多いのは乙女姉さんね。)
助太夫は献身的に龍馬を支援しており、邸宅の一室を龍馬に与えで、
龍馬はこれを「自然堂」と名付けてお龍と生活しています。
助太夫が九三を名乗ったのも龍馬の薦めだったようですね。

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 伊藤久三の墓はこちらです。
高杉晋作ウォーク(唐戸周辺コース)①
 本陣伊藤家跡は春帆楼の下方にあります。
下関市南部町 馬関越荷方役所跡・本陣佐甲邸跡・紅屋跡
 西の本陣佐甲家跡。

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