下関市岬之町 三百目橋跡

下関市岬之町観音崎町の間に、
北へと延びる通りがあります。
この通りは通称三百目通りと呼ばれ、
江戸期は谷川が流れていたという。
現在は地下河川となっているようで、
川の上に道路が出来ていますが、
江戸期はこの道が川でした。

この川の為に東西の行き来が不便だった為、
油屋仁左衛という商人が橋の建設を願い、
長府藩銀三百匁を寄進したとされ、
その資金によって橋が架けられます。
橋は寄進した金額から三百目橋と呼ばれ、
明治初年まで川に架けられていたという。
※当時は一匁二匁と数えられましたが、
 切りの良い百匁百目といったらしい。
 百一になると百一匁となったようです。



三百目橋跡」。
三百目橋があった辺り。
東へ行けば日銀下関支店があり、
北側に真木菊四郎の殉難地があります。
菊四郎は殺害後に川へ棄てられますが、
夜中に棄てられた遺骸は、
朝には満潮で潮が川を登った為、
棄てられた場所に戻っていたという。

■関連記事■
下関市岬之町 真木菊四郎殉難之地
 真木菊四郎の殉難地。
下関市阿弥陀寺町 真木菊四郎/白石正一郎墓
 真木菊四郎と白石正一郎の墓所。
福岡県久留米市 山川招魂社
 真木菊四郎の墓もあります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です