光明寺墓地にある奇兵隊士の墓。
「奇兵隊伊東禎三祐久墓」。
奇兵隊士伊東禎三の墓。
小倉城を自焼させた小倉藩は、
香春に本陣を置いて防戦を構えを見せ、
秋月街道の要所金辺峠を固めると共に、
中津街道の要所狸山にも陣を置き、
長州藩を二方面から迎え討ちます。
慶応2年8月17日に長州藩は狸山を攻撃。
待ち構えていた小倉藩兵は、
これを迎え撃って銃撃した為、
長州藩は劣勢となって後退しました。
伊東はこの戦いで負傷したようで、
下関まで運ばれて治療を受けますが、
同月21日にその甲斐なく死亡。
享年31歳だったようです。
彼の墓は桜山神社にもありますが、
墓碑銘は伊東貞三祐久となっており、
また文献では禎蔵、貞蔵とも書かれます。
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光明寺党の本陣となった寺院。
・下関市上新地町 桜山神社(色々聞いてみた)
戦死した奇兵隊士を祀る桜山神社。
・下関市赤間町 本行寺
小倉戦争の戦死者の墓があります。