山口県萩市 海潮寺地蔵堂/金子重輔墓所

海潮寺地蔵尊は元は保福寺と呼ばれ、
都濃郡久米にあった原始院の住職が、
に隠居寺を建立したことに始まります。
後に海潮寺の末寺となっており、
身代わり地蔵を祀るお寺として、
庶民に信仰されるようになりました。
保福寺は明治元年に廃寺となりますが、
その後は海潮寺が地蔵堂として管理し、
現在に至っています。


地蔵堂」。
保福寺の本堂であった地蔵堂。
本尊の地蔵菩薩の他に、
身代わり地蔵が安置されています。

金子重輔の墓は墓地中央付近。

贈正五位金子重輔之墓」。
金子重輔の墓(中央)と金子家の墓。
阿武郡紫福村の商人の子として生まれ、
足軽金子家の養子となったとされます。
藩の雑役を務めていましたが、
吉田松陰と出会ってその弟子となり、
ペリー艦隊への密航を計画。
松陰と共に小舟で米艦に乗り込み、
渡米と交渉しますが拒否され、
密航計画を断念して自首しています。
2人は伝馬町獄舎に収監された後、
国許蟄居の処分を受けて帰国。
松陰は武士が収監される上牢の野山獄へ、
金子は下牢である岩倉獄に収監された為、
劣悪な環境で体を壊してしまい、
収監から2ヶ月余りで病死しました。
この墓碑は維新後に建てられたもので、
墓前の花立は寄進 吉田氏となっています。

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山口県萩市 海潮寺
 地蔵堂は海潮寺が管理しています。