山家追分は長崎街道、薩摩街道が分岐し、
日田往還が交差する交通の要所で、
福岡藩が番所を置いていました。
筑紫野市山家周辺。
緑の線が長崎街道で紫の線が薩摩街道。
水色の線が日田街道です。
地図中央の交差が山家追分で、
青でぼかした辺りが山家宿跡。
「山家宿番所跡(左)」、
「山家宿追分石(右)」。
非常に交通量が多い辻であったようで、
[大又]とも通称されていたようです。
■長崎街道の宿場町
■薩摩街道の宿場町
■関連記事■
・福岡県筑紫野市 原田宿跡
長崎街道の6番目の宿場跡。
・福岡県小郡市 松崎宿跡
薩摩街道の2番目の宿場跡。
・福岡県飯塚市 内野宿跡
長崎街道の4番目の宿場跡。