小倉城を自焼させ田川に退いた小倉藩。
長州藩兵が小倉城下に入ったのは次の日でした。
高杉晋作や山縣狂介も小倉入りしますが、
白石正一郎も小倉に入っております。
白石が日記に記すところによると、
小倉城下はもぬけの殻で、
盗人の類いがうろつく程度であったらしい。
長州兵が家老宅などを見分していると、
家老渋田見家において一人の女を見つけます。
女は薙刀を振るって長州兵に襲いかかりますが、
返り討ちにされて絶命。
女一人が屋敷を死守しようとしたという事実に、
長州藩兵は称賛したそうです。
なぜ女が一人で家老宅を守っていたのか?
実はこういう話が伝わっています。
主人の渋田見新は三番手士大将として出陣。
残るは70歳近い先代当主と女子供だけでした。
そして小倉藩政府が小倉の自焼を決め、
城から火の手があがった直後、
藩の伝令が退去を伝えに来ます。
出陣している現当主の安否もわからぬので、
家族は残って待ちたいところでしたが、
退去の命令には従わねばなりません。
そこへ奉公していた女中玉枝が進み出て、
自分がここに留まり当主の安否確認と、
屋敷の行く末を見届けたいと願い出ました。
玉枝は渋田見家に幼少より奉公しており、
長きにわたって良くしてもらったから、
今こそその御恩を報じる時だと考え、
一人残る事にしたという。
黒髪を後ろに結んで奥方の着物を着せてもらい、
与えられた白柄の長刀を腰に差し、
白絹の鉢巻とタスキを締めて籠城しました。
やがて長州藩兵が渋田見屋敷にやってきます。
玉枝は長州藩兵に向かい、
「我こそは小笠原左京大夫の臣、
三番手士大将渋田見新の妻玉枝なり!
主人の留守を預かれば我が命有る内は、
汝等に踏入らす可きや尋常勝負あれ!」
と叫び、長州藩兵に斬りかかりました。
一人を斬り倒しますが多勢に不勢、
銃で撃たれて首を斬られ絶命してしまいます。
妻と偽ったのは女中を置いて逃げたとなれば、
家名に傷が付くということで当主の妻を名乗り、
妻が留守を守っている事にしたのでしょう。
「小倉藩士屋敷絵図」によると、
渋田見屋敷は小倉城の南。
現在は北九州中央図書館があるあたりです。
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