滝部八幡宮は、滝部の氏神として敬われ、
阿川毛利家の庇護を受けました。
ここに吉田松陰の碑文による烈婦登波の碑が建っています。
大鳥居の横の大きな石碑。
「中山太一顕彰碑」。
中山太一は滝部出身の実業家で、
㈱クラブコスメチックスの前身中山太陽堂の創業者。
故郷の滝部に多額の寄付をおこなった人物です。
八幡宮の隣には、なんともノスタルジックな建物が・・。
「「太翔館」(旧旧滝部小学校本館)」。
中山家の寄付によって建設された校舎。
ルネサンス様式の石造建築を、
木造建築に取り入れた校舎でした。
現在は豊北歴史民俗資料館「太翔館」として、
無料で見学できます。
平成19~23年の保存修理工事を経て、
大正時代の創建当時の姿に復元された校舎。
最近自由に歩けるようになったゆきちゃんは、
大はしゃぎであっちこっち歩き回っていました。
教室内。
ここまで古いと僕には懐かしさは感じられません。
さて、メインの滝部八幡宮です。
「滝部八幡宮」。
阿川毛利家の篤い崇敬を、江戸時代を通じて受けており、
数々の奉納品が残されているようです。
「烈婦登和碑」。
参道階段脇に建てられた滝部の烈婦登波を顕彰した碑。
烈婦登波についてはこちらをご覧下さい。
この碑も中山太一の寄付によって建てられました。
「甚兵衛屋敷跡」。
登波の碑の側の木陰にあった木製の碑。
ここが登波の父甚兵衛の屋敷があった場所なんですね。
つまり、竜之進が甚兵衛やまつ、勇助を殺害した場所!?
「滝部八幡宮拝殿とイチイガシ」。
境内にそびえるイチイガシは樹齢700年の古木。
700年前といえば鎌倉時代ですね。
さて滝部八幡宮境内には、摂社として招魂社があります。
こういう招魂社とか忠魂碑とかは、先の大戦のモノが多く、
当ブログの範囲(幕末~西南戦争)から外れています。
よく見る忠魂碑が建てられている招魂社。
その土地出身の大東亜戦争などの英霊達を祀る神社ですね。
あれ?英霊達の名簿に・・・
「西南之役 岡崎忠良」と刻まれています。
「戊辰の役 長岡勘助國光」もありました。
阿川毛利家家臣でしょうか?
それとも諸隊出身者でしょうか?
分限帳や隊士名簿などを調べればわかるでしょうね。
烈婦登波の碑を目当てに訪れたのですが、
意外に盛りだくさんの滝部八幡宮でした。
■関連記事■
・烈婦登波と吉田松陰
烈婦登波の碑は吉田松陰の碑文です。
・熊本県熊本市 桜山神社
阿部景器の妻は烈婦として称えられています。
・北海道松前郡 松前護國神社
松前藩の足軽美岐も、烈婦として称えられています。
・小倉城下の烈婦 玉枝
小倉城下にも烈婦と称えられた女性がいました。