京都府京都市 常光院/木下家定墓所

常光院建仁寺塔頭の臨済宗寺院。
建仁寺24世温仲宗純により創建され、
豊臣秀吉正室高台院の兄木下家定が帰依し、
自らの菩提寺として庇護されたようで、
寺名は家定の法名[常光院殿]に由来します。


常光院」。
元々は祇園町南側にあったようで、
明治5年に現在地に移転されました。


常光院墓所」。
境内から離れた西側にある墓地。
入口や塀が周辺と調和しており、
墓地と気付かない人もいるかもです。


木下家定墓(たぶん・・)」。
墓地内を探してみましたが、
[常光院殿]の碑銘の墓は見つからず、
それらしいのはこの五輪塔のみ。
たぶんこれが家定の五倫塔で、
左の小さな五輪塔が奥方と思います。
家定は杉原定利の長男として生まれ、
おね(高台院)が木下藤吉郎(秀吉)に嫁ぎ、
その立身出世に従って家臣となり、
義弟の木下姓を名乗りました。
秀吉の一門衆筆頭格となっており、
文禄4年には姫路2万5000石に加増。
秀吉死後の関ヶ原の戦いでは中立を保ち、
京都で妹の高台院を警護しており、
家康はこれを評価して厳封とせず、
姫路から足守に移封させています。
家定は領地の足守には入ることはなく、
京都で晩年を過ごし慶長13年(1608)に死去。
この常光院に葬られました。

■関連記事■
岡山県岡山市 大光寺/足守藩木下家墓所
 足守藩木下家の歴代墓所。
岡山県岡山市 足守陣屋跡
 足守藩木下家の陣屋跡。
大分県速見郡 松屋寺/日出藩木下家墓所①
 日出藩木下家の歴代墓所。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です