幕末期の小浜藩は海岸防衛の為、
嘉永4年に幕府に台場建設を届け出て、
領内に約30ヶ所の台場を建設しました。
川崎台場は安政元年(1854)に設置され、
小浜城周辺5ヶ所の台場のひとつとして、
7門の砲座があったとされます。
造営は土木業を営んだ重田卯右衛門や、
黒鍬八兵衛が担当。
大砲の鋳造も町方商人が担ったとのこと。
「台場崎公園」。
川崎台場跡は現在台場崎公園となっており、
ここに台場があった事が示されてます。
但し遺構は無い模様。
土塁風の小山もありますが詳細は不明。
「世阿弥船出之地(右)」、
「小浜漁港開港記念碑(左)」。
設置されている碑は台場とは関係無し。
猿楽師世阿弥は父観阿弥と共に、
3代将軍足利義満の庇護を得て隆盛。
猿楽を現在の能楽と同等に発展させますが、
6代将軍足利義教の頃には弾圧され、
永享6年(1434)に佐渡へ流刑となります。
世阿弥は京都から小浜に至り、
津田の入江より佐渡へ出航しました。
世阿弥の碑はこれを記念したもの。
開港記念碑は各港によくあるものです。
大きな石が沢山使用されていますので、
台場に使われた石垣か?と、
どうしても色眼鏡で見てしまいます。
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