野田は薩州島津家の領地だった地で、
薩州家5代島津実久が弟島津忠兼に与え、
忠兼がこれを治めていました。
後に忠兼は6代島津義虎に殺害されており、
その後に怪異が続いたとされ。
祟りを恐れた領民が若宮神社を建立。
薩州島津家は文禄の役の不参加を理由に、
豊臣秀吉に所領を没収されています。
その所領は島津宗家に褒美として返され、
野田は島津宗家の直轄地となり、
江戸時代には麓集落が形成されて、
地頭仮屋が置かれ周辺が統治されました。
「熊陣馬場」。
約1000mの直線をもつ熊陣馬場。
薩摩街道出水筋の街道筋でもあり、
武家屋敷群の石垣が残っています。
「野田地頭仮屋跡(野田小学校)」。
野田地頭仮屋跡は野田小学校の敷地で、
石垣等の遺構が現存。
野田は出水郷に属していましたが、
明暦3年(1657)に独立したようです。
薩摩藩の外城御仮屋
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