磐城平藩に攻められた神谷陣屋の藩士らは、
陣屋を放棄して四倉の薬王寺に向かいます。
笠間藩飛地領内であった薬王寺は、
笠間藩の庇護を受け発展し、
最盛期には50を超える堂宇があったという。
「薬王寺」。
磐城三薬師のひとつ。
同じく磐城三薬師の八茎寺の別当として開山。
鎌倉から南北朝時代の石塔婆[板碑]が、
境内に数多くあることでも有名です。
「笠間戦跡之碑」。
笠間藩の戊辰戦記か綴られた石碑。
薬王寺の門の横に建てられています。
「薬王寺本堂」。
薬王寺に逃げ込んだ笠間藩士達でしたが、
磐城平藩兵は薬王寺にも攻撃を加え、
その戦火で本尊の薬師如来を含め、
本堂やその他の伽藍が灰燼となります。
現在の本堂はその後に再建されたもの。
石段の途中にあった「板碑」。
頭頂部が割れているようですが、
こういう形の石が割れるのは、
余程の衝撃があったのではないでしょうか?
砲撃によって破壊されたものかも?
立てこもる薬王寺にも攻撃が加えられ、
笠間藩士らは北上して山中に潜伏します。
詳しく調べていませんが、
この戦闘での笠間藩士の戦死者は無い模様。
戦前は磐城平藩と良好な関係でしたので、
磐城平藩は戦闘に参加させなくするだけで、
本気で戦う気は無かったのかもしれません。
・・というより磐城平城の防戦で、
そこまで手が回らなかったのかな?
この最中、笠間藩本領から藩兵4小隊が、
神谷陣屋の救援に駆け付けており、
神谷陣屋奪還を果たすべく神谷に進軍。
その際に相馬中村藩や仙台藩と遭遇し、
戦闘に至っています。
これによって同盟軍は足止めを食らい、
磐城平城に援軍を送れなくなっています。
山中に潜伏していた陣屋の笠間藩兵も、
その隙に笠間藩本隊と合流。
後の磐城平城総攻撃にも参加しました。
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