備中国笠岡は毛利家の支配地域でしたが、
関ケ原の戦い後に減封となり、
笠岡は天領となりました。
一時期福山藩水野家の所領となりますが、
水野家の無嗣改易によって再び天領となり、
倉敷代官所の管轄となります。
後に倉敷代官所の管轄が広範囲に至った為、
出張所として笠岡村に代官所が設けられ、
周辺の支配業務を担当しました。
「笠岡代官所跡」。
現在の笠岡市立笠岡小学校の敷地が、
笠岡代官所のあった場所。
この門は笠岡代官所でも小田県庁でもなく、
旗本戸川家の妹尾陣屋の門を移築したもの。
「代官所跡」碑。
門の向かって左側にある石碑。
初代代官は福山藩の代官山木与三左衛門。
備中国西部から備後国南部を支配しており、
倉敷代官の支配下であったにも関わらず、
独自性を持っていたとされます。
特に早川八郎左衛門と井戸平左衛門は、
名代官として地元では知られており、
早川は各地で治績を挙げた他、
郷校敬業館を創設。
井戸は芋代官として知られ、
飢饉を芋栽培を奨励して乗り切っています。
「小田縣廳跡」碑。
門の向かって右側にある石碑。
笠岡代官所は維新後に閉鎖されますが、
廃藩置県の後に第1次府県統合が行われ、
周辺の鴨方県、生坂県、庭瀬県、足守県、
浅尾県、岡田県、高梁県、成羽県、新見県、
倉敷県、福山県が統合されて深津県が誕生。
県庁は福山に置かれる予定でしたが、
初代県知事矢野光儀の建議により、
笠岡に県庁が置かれて後に小田県に改名。
以後は明治8年まで県庁として機能し、
小田県が岡山県に統合された為、
小田県庁は廃止しています。
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