金沢といえば加賀藩前田家のお膝元ですが、
武蔵国にも金沢という地名があり、
その場所に藩庁を置く藩がありました。
※前田家は金沢藩というよりは、
加賀藩という方が主流ですね。
一般的な地名はかぶってしまので、
意外と同名の藩というのは結構あります
※備中松山藩/伊予松山藩、
三河吉田藩/伊予吉田藩など。
武蔵国の金沢藩は武州金沢藩と呼ばれ、
譜代大名米倉家が代々治めていました。
藩庁は領地中心地や要所に置かれますが、
武州金沢藩の陣屋周辺は領地では無い。
こういう藩は非常に珍しいようで、
武州金沢藩以外に知りません。
※幕末以外の藩は調べてません。
元々米倉家は600石程度の旗本でしたが、
江戸前期の当主米倉昌尹の出世によって、
加増を繰り返して大名となった家。
始めは皆川に藩庁を置き、
皆川藩として立藩させましたが、
3代米倉忠仰が金沢に陣屋を移しています。
「武昌金沢八景之図(一部)」。
金沢は鎌倉時代より景勝地として知られ、
中華の瀟湘八景になぞらえられて、
金沢八景と呼ばれていました。
※絵図には陣屋の様子も描かれています。
陣屋を移した理由は定かではありませんが、
案外この景観を望む為かもしれません。
陣屋跡は現在民家となっています。
「陣屋の石段」。
金沢八景駅の裏手が陣屋のあった場所で、
跡碑も説明板も無い住宅となっています。
唯一石段が民家の門前に残されており、
そこに陣屋があった事実を残していました。
幕末の藩主は8代藩主米倉昌言。
日光奉行や大坂加番等、
幕政で譜代大名の職務をこなし、
長州征伐にも藩兵を派遣しています。
鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍が敗北し、
東征が開始されると新政府に恭順。
横浜港の警備や兵糧の提出を行いました。
明治2年の版籍奉還後は、
藩名を加賀金沢との混同を避ける為、
六浦藩と改称しています。
【武州金沢藩→六浦藩】
藩庁:六浦陣屋
藩主家:米倉家
分類:1万2000石、譜代大名
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こちらは加賀100万石前田家の居城跡。