会津藩」タグアーカイブ

青森県むつ市 斗南藩史跡②

/②/

円通寺を訪問していますが、
そこが藩庁であったという事で、
別記事にしています。
青森県むつ市 円通寺/斗南藩仮藩庁跡

円通寺を出て南西方向にある徳玄寺へ。

徳玄寺山門」。
徳玄寺は幼い藩主松平容大が、
食事や遊びの際に使用した場所との事。… 続きを読む

青森県むつ市 斗南藩史跡①

①//

会津戦争の終結後、
謹慎を経て会津松平家の復興が許され、
陸奥国東部に立藩したのが斗南藩
立藩にあたり旧領の猪苗代と、
旧盛岡領の選択を許され、
家臣らの激論の末に後者に決定されました。
同じ3万石であるならば、
土地が広い方が開墾できるという事と、… 続きを読む

福岡県京都郡 甲塚墓地/郡長正の墓

萱野権兵衛会津戦争の責任で自刃。
萱野自刃後に萱野家の家名は断絶し、
家族は祖先の使った姓を名乗ってます。
会津藩は斗南に転封となり斗南藩を立藩。
極寒の過酷な状況の中で藩を運営しました。
幕長戦争で長州藩と戦った小倉藩は、
小倉城を自焼することになり、
御茶屋を藩庁として香春藩続きを読む

下関市長府 会津藩のスパイの墓

敵方の動向を探る一番有効な手段は、
間者(スパイ)を潜り込ませることでしょう。
幕府は各藩に隠密を潜り込ませましたし、
諸藩も京都や江戸等の各地に探索方など、
間諜を出していたらしい。
新撰組にも間者がいたようですし、
隊士も間者として粛清されています。
※これについての正否は不明。

壇ノ浦砲台前田砲台続きを読む

高須四兄弟 松平容保

左から、
八男松平定敬、七男松平容保
五男徳川茂栄、次男徳川慶勝
高須藩10代松平義建の子供らで、
幕末期に重要な藩の藩主であった4人を、
高須四兄弟と呼ばれました。
松平義建の子供は10人いるのですが、
他の兄弟は早くに死去しており、… 続きを読む