広島藩家老上田家の初代上田重安は、
茶道に優れ流派を創設する程の茶人。
また多くの戦に参加した歴戦の勇士で、
一番槍の武功を何度も得た強者でした。
その没後は遺言により遺骨が海に流され、
遺髪のみが塚に埋葬されました。
廿日市市沖塩屋にある墓所。
「上田家墓所」。
串山… 続きを読む
広島県廿日市市 上田家串山墓所
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広島藩家老上田家の初代上田重安は、
茶道に優れ流派を創設する程の茶人。
また多くの戦に参加した歴戦の勇士で、
一番槍の武功を何度も得た強者でした。
その没後は遺言により遺骨が海に流され、
遺髪のみが塚に埋葬されました。
廿日市市沖塩屋にある墓所。
「上田家墓所」。
串山… 続きを読む
禅林寺は広島藩家老上田家の菩提寺で、
福島正則が創建した臨済宗の寺院。
原爆によりその全てが焼失しており、
戦後に復興しています。
「本堂」。
福島正則が海国寺五世高厳… 続きを読む
小泉藩は片桐且元の弟片桐貞隆を祖とし、
江戸時代を通じて片桐家が治めています。
2代片桐貞昌は茶人桑山宗仙に茶道を学び、
石州流茶道の祖として知られ、
将軍徳川家綱の茶道指南役となっており、
また8代片桐貞信も茶人として高名でした。… 続きを読む
松江藩は出雲国と隠岐国を領有した藩で、
堀尾忠氏が関ヶ原前哨戦の功績を挙げ、
浜松12万石から出雲24万石に加増。
しかし次代堀尾忠晴で無嗣改易となり、
代わって京極忠高が入封してきますが、
こちらも無嗣改易となってしまい、
※後に甥の京極高知が龍野6万石で再興。
代わって結城秀康の三男松平直政が、… 続きを読む