小泉藩は片桐且元の弟片桐貞隆を祖とし、
江戸時代を通じて片桐家が治めています。
2代片桐貞昌は茶人桑山宗仙に茶道を学び、
石州流茶道の祖として知られ、
将軍徳川家綱の茶道指南役となっており、
また8代片桐貞信も茶人として高名でした。
現在も陣屋跡の敷地にある高林庵が、
石州流茶道宗家として現存し、
片桐家当主の居宅になっています。
「小泉城址」。
小泉城は築城年は不明ですが、
興福寺衆徒小泉家の築城した城で、
筒井家の争いで落城を繰り返しました。
大和国が豊臣秀長の領地となると、
家臣の羽田長門が小泉を与えられ、
小泉城は拡大整備されています。
後に片桐貞隆に与えられていますが、
関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利すると、
貞隆は茨木城に移り豊臣家を補佐。
しかし方広寺鐘銘事件によって、
兄且元と共に徳川への内通を疑われた為、
兄と共に豊臣家から離れました。
豊臣家滅亡後に6000石加増で小泉藩を立藩。
格式としては無城大名であり、
江戸期は陣屋規模に縮小されていた為、
小泉陣屋が正しいといえます。
「高林庵」。
一般財団法人高林庵 石州流茶道宗家本部。
説明板には[片桐城跡]となっています。
「ナギナタ池」。
小泉城の堀だった場所で、
高林庵の敷地に面しています。
ナギナタ池より南に下ると小泉神社があり、
そこに陣屋門が移築されています。
「旧小泉城之城門」。
神社ながら寺院山門のような門で、
小泉陣屋の正門が移築されたもの。
「旧小泉城移築裏門(金輪寺西門)」。
小泉城跡の北東方向にある金輪寺には、
陣屋の裏門が移築されています。
小泉藩は茶人と名高い8代貞信の隠居後、
藩主早世が続いで藩政は安定していません。
その後の10代片桐貞照の治世で、
桜田門外の変が発生していますが、
貞照が警備する日比谷門は程近く、
その対応を咎められています。
11代片桐貞利は僅か半年で病死。
12代片桐貞篤維新を迎えており、
鳥羽伏見の戦い後に新政府に恭順すると、
京都警備を任じられました。
【小泉藩】
藩庁:小泉陣屋
藩主家:片桐家
分類:1万1000石、外様大名
■関連記事■
・奈良県大和郡山市 郡山城跡
隣藩の郡山藩柳沢家の居城跡。
・奈良県天理市 柳本陣屋跡
隣藩の柳本藩織田家の陣屋跡。
・奈良県桜井市 芝村陣屋跡
隣藩の芝村藩織田家の陣屋跡。