祥雲寺は一関藩主田村家の菩提寺。
田村宗良が岩沼藩時代に開創した大慈寺が、
田村家の一関転封に伴い移転し、
その際に名称を変更したものです。
「本堂」。
本堂は明治期に焼失して再建されたもの。
寺名は初代田村建顕の祖母祥雲院からで、
彼女が開基となっています。
「田村家墓所」。
本堂の左手に田村家墓所がありますが、
階段の上に土饅頭があるだけ。
大正2年に品川東禅寺等にあった歴代墓を、
纏めて合葬した際に、
遠祖坂上田村麻呂の墓に倣って、
墳丘墓に改めたようです。
「田村崇顕公之墓」。
一関藩11代藩主田村崇顕の墓。
先代田村邦栄が戊辰戦争後に隠居した為、
急遽家督を継いで藩主となった人物。
自然石の墓標って結構ありますが、
ただの岩にしか見えません。
「播州赤穂藩主浅野内匠頭長矩公
供養之塔」。
境内墓地に建てられた慰霊碑。
赤穂藩主浅野内匠頭が切腹したのは、
一関藩の江戸藩邸の庭だったようで、
その縁で供養塔が建てられています。
裏参道には石碑が並んでおり、
この中の2つが戊辰戦争のもの。
「戊辰戦役生還者姓名碑」。
戊辰戦争の生還者の名簿が刻まれています。
「戦死舊一関藩士碑」。
こっちは戦死者の碑ですが、
生還者と違って名前は刻まれてません。
戊辰戦争の敗戦後、
藩主田村邦栄は祥雲寺にて謹慎し、
新政府からの沙汰を待っていたようで、
後に言い渡されたのは、
3000石の厳封と邦栄の隠居でした。
■関連記事■
・岩手県一関市 一関陣屋跡
一関藩田村家の居城。
・福島県三春町 三春城跡
田村家はかつて三春城主でした。
・宮城県白石市 片倉家墓所
政宗正室の父田村清顕の墓もあります。