周防大島町 維新百年記念公園

久賀の海岸線沿いに維新百年記念公園があり、
維新関連の石碑が集められています。


維新百年公園」。
文字通り明治維新百年を記念して整備された公園。
久賀村は大島戦争の激戦地で、
幕府軍が上陸して占領、略奪をした他、
幕府海軍の砲撃によって壊滅的な被害を受けました。


精忠不朽之碑」。
最後の長州藩主毛利元徳の書による碑。


精忠不朽之碑文」。
碑に刻まれた戦死者は以下のとおり。
竹中甚之助久行丈之助泉徳太郎富山勇記
山脇種蔵
仲木直太郎野村吉蔵大谷八郎
山本興吉郎
河村文葊国行雛次郎波多野五郎
松岡茂太郎
岡本新太郎
軍夫
岩本直吉藤本鹿之助松永熊蔵
大波野市蔵
金谷礒右衛門
撰文は白井素行。白井は第二奇兵隊の軍監で、
幕長戦争戊辰戦争で活躍した人物。
吉田松陰が密航に失敗して捕縛され、
伝馬町の獄に入れられた際、
自らの刀を売って金を差し入れた事で知られ、
英国公使館焼討事件にも参加しています。
維新後は政府に仕官せずに郷里に帰り、
後進の指導にあたりました。


倉敷浅尾事件犠牲者の碑」。
こちらは倉敷浅尾騒動で斬首された隊士の碑。
大洲鉄然の撰文によるもので、
「小隊長立石孫一郎は「座して大敵を待つよりは、
 打って出る方が良い
」と倉敷代官所を襲う計画を立て、
 隊士の半数を率いて脱走しますが、
 立石の行動は倉敷代官に恨みからの私怨という。
 法によって自首した隊士らは斬首されますが、
 悪いのは私怨で隊士をそそのかした立石で、
 隊長の命で行動して斬首された隊士達は哀れである。
 そこで有志らがその無念の霊を慰めようと碑を建立した」
という意味のもの。
碑に刻まれた犠牲者は以下のとおり。
秋元三郎加藤治之助大沼幸助矢野小助
加藤吉之進
東城籬高田兼助石田惠
本庄冨之進
櫻井軍記田中伊右ヱ門
正田作次郎
岡本亀之助田中治右ヱ門
正田正次郎
加藤武熊浦上為吉、其他不詳


贈従五位伊藤君碑」。
久賀の庄屋伊藤惣兵衛の碑。
伊藤は海防僧月性、大洲鉄然らと親交し、
尊皇攘夷論を唱えて幕府を非難。
下関攘夷戦の際には糧米飼料を大船に乗せて送り、
自らも大洲と共に真武隊を結成しました。
慶応元年に伊勢神宮に詣でて皇祖を拝しますが、
帰路の大坂で病に侵され、帰郷後程なく死去しています。
篆額は毛利元昭、撰文は高島張輔
高島張輔は萩の藩医高島良台の長男で、
維新後は県や明治政府の諸官省に歴任した人物。
日本画家高島北海の実兄でもあります。


ここでも碑文の説明がしっかりされています。
他の教育委員会観光課は是非見習って欲しいですね。

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