大島戦争(大島口の戦い)①

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大島戦争は、幕長戦争(第二次長州征伐)の初戦にして、
長州藩領を侵略された唯一の戦いです。

慶応2年6月5日付で長州藩への攻撃命令が、
広島に滞陣していた幕府軍に出されました。

長州藩領周防大島は、東側の海から攻める際、
本土を守る壁のような位置にある大きな島です。
幕府軍はまずここを占領して、
長州制圧の足掛かりにするつもりでした。

大島戦争の火蓋は広島からではなく、
小倉からやってきた「長崎丸」からの艦砲射撃でした。

①6月7日。
小倉から来た「長崎丸」は、室津瀬戸口の人家に砲撃。
大砲4発を発射します。被害は無し。
「長崎丸」は大島安下庄の湾内へ入り、大砲4発を発射。
1発は空砲。2発は龍崎の沖に着弾。
残り1発は外入村へ落ちます。被害は無し。
その後、「長崎丸」は伊予方向に引き上げて行きました。
※小倉へ帰港しています。


②翌6月8日。
富士山丸」「大江丸」が大島東端の油宇村を砲撃。
他に商船10隻が率いられ、松山藩兵が乗船。
「富士山丸」「大江丸」は大砲5~6発を発射しました。
この砲撃で村の母子が即死しています。
さらに松山藩兵を上陸させて、村の家屋に放火して引き上げ、
船団は安下庄の湾内に入り、大砲数発を討って退去。

その後、津和地島で松山藩兵は宿営。
2艦は「翔鶴丸」「八雲丸」「旭日丸」と合流して、
久賀村の沖合より大砲数十発を撃ち込みますが、
反応が無かったために、砲撃を中止。
前島沖合に停泊します。幕府軍陸兵は前島にて宿営。

その後、天候不良により戦闘無し。
11日より再び攻撃が開始されました。

③6月11日。
「翔鶴丸」「八雲丸」「旭日丸」は久賀村を砲撃。
陸上部隊は久賀村の西の宗光より上陸し、
久賀村に攻め入ります。
長州側の守備兵400名は、
海、陸の攻撃によりたまらず山上に退却。
軍艦からは、焼玉が発射されたので火の海となり、
幕軍は大砲6門、米3000表を分捕ります。

一方、「富士山丸」と「大江丸」は、
津和地島で松山藩兵の乗せ、安下庄に攻撃を開始。
地元の領主村上亀之助が応戦しますが、
支えきれずに後退しました。
久賀村が苦戦しているということで、
援軍に駆けつけようとしますが、
すでに撤退後だったので、合流して屋代村まで退き、
夜間行軍で大島を離れて対岸の遠崎まで撤退します。

長州軍は大島より一掃され、
幕府が大島を占領して初戦は幕府の大勝利
この情報は長州軍本営山口政事堂にもたらされます。

続く。

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