大島戦争(大島口の戦い)③

続き。
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6月16日夜明け。
野営していた浦滋之助配下の秋良政一郎は、
久賀沖に停泊しているはずの幕府艦隊が、
いつの間にかいなくなっているのを発見。
これを攻勢の好機と見て、
本陣の西蓮寺に赴いて攻撃を提案します。

第二奇兵隊軍監林半七は、一昨日よりの渡島、朝駆け、
戦闘により、兵の疲労を回復するために、
本日は休日としたので攻撃はしないと答えます。
これに秋良は、絶好の機会を逃すべきではなく、
しかも本陣は谷間にあるため、
幕軍に山頂より攻撃されては危険なので、
はやく状況を打開せなばならぬと推したため、
軍議が開かれ、久賀村攻撃が決定されました。


①午前10時頃。
第二奇兵隊及び諸兵は、垢水峠まで進みます。
この時、行軍の左側の遥か先に、
安下庄松山藩兵が三手に分かれ、
押寄せてくるのを発見。
急遽、作戦を変更してこれを迎撃します。

長州軍は山頂より松山藩兵を見下ろしながら発砲。
また、浩武隊が討手として散兵戦術で攻撃し、
押された松山藩兵は後退して安下庄まで退き、
そのまま停泊していた商船数隻で残らず退却しました。
長州勢は山間で野営しています。


②6月17日午前4時頃。
長州勢は山を下りて安下庄に押し寄せますが、
すでに松山藩兵は退却しており、残兵を多数生け捕り、
帯刀者は斬首しています。
小者は路銀を与えて津和地島へ送還し、
昼頃に久賀村の幕府軍との決戦に向かいます。
散兵して小銃を撃ちかけると、幕府軍もこれに応戦。
沖では幕府艦隊が艦砲射撃を行いました。
久賀沖に居なかった「富士山丸」も戻って砲撃に参加。
午後4時頃には、幕府軍は各所を放火して退却の姿勢を見せ、
浜手まで退いて小舟で退却します。
長州勢も夜には本陣の西蓮寺に引き上げました。

幕府軍は一掃されましたが、1日空けた6月19日早朝。
再び幕府艦隊が久賀沖にやってきます。
兵卒を上陸させて、浜辺の民家で略奪。
その後放火して翌20日の早朝に残らず退却して、
再び周防大島には戻って来る事はありません。
長州勢が迎撃に来る頃には、焼野原の村があるだけでした。
※これは退却に土産が必要と、引き返して略奪したようですね。

これにて大島戦争は終了。
長州藩は勝利しますが、大島島民の惨状は悲惨。
特に久賀、安下庄は壊滅的打撃を受けており、
大島島民にとっては苦い勝利となりました。

高杉晋作の奇襲が、華々しく語られる大島戦争ですが、
実際はこのような戦闘が行われていたのです。

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