龍門寺は南北朝時代の当主岩城朝義により、
陸奥国磐城に開山した寺院。
岩城家が亀田に転封となった際に、
磐城龍門寺より住職を招き創建されました。
「龍門寺」。
龍門寺は岩城家菩提寺として庇護を受け、
広大な七堂伽藍が並んで隆盛しましたが、
江戸期に3度の火災に見舞られており、
現在の本堂は昭和35年に再建されたもの。
岩城家墓所は本堂裏の山麓にあります。
「岩城家墓所」。
歴代藩主墓所は火災の際も焼失を免れ、
そのまま現存しています。
「御霊屋」。
正面にある御霊屋。
岩城家累代と2代藩主岩城宣隆の位牌、
3代岩城重孝と8代岩城隆喜の木造を安置。
※墓所にある説明板には宣隆を初代と数え、
重孝は2代、隆喜は7代となっています。
藩主の墓碑である五輪塔は全て霊屋付き。
雪雨から墓石を守る為のもので、
雪国の藩主の墓所ではおなじみ。
五輪塔は全部で6基。
4代秀隆、5代隆韶、8代隆喜、
11代隆政、9代隆永の室のもの。
そして幕末の藩主12代岩城隆邦のもの。
他に東京の総泉寺から移葬された納骨堂も。
「故出羽亀田城主修理大夫平隆政
憲正院殿知徳勇道大居士」。
11代藩主岩城隆政の墓。
8代藩主岩城隆喜の六男で、
9代及び10代は兄が継ぎますが、
双方共に早逝してしまった為、
家督を継いで11代藩主となりました。
※9代隆永は享年19歳。
10代隆信は享年18歳。
更にこの隆政も20歳で病死しています。
「故従三位子爵岩城隆邦
峻徳院殿忠巌隆翁大居士」。
12代藩主岩城隆邦の墓。
兄達3人が相次いで早逝してしまった為、
急遽家督を継いで12代藩主に就任。
王政復古後はいち早く参内しており、
新政府に勤皇を誓っていますが、
戊辰戦争では奥羽越列藩同盟および、
新政府の双方を裏切る結果となってしまい、
最終的に降伏して隠居を命じられました。
兄達と違い享年68歳と長生きしています。
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