碇ヶ関は弘前藩が設置した国境の口番所で、
本陣も備えた宿場町であった為に、
地域一帯が城下町の様だったとされ、
弘前城の出城のようなものでもありました。
平川市碇ヶ関周辺。緑の線が羽州街道。
青でぼかした辺りが碇ヶ関宿跡。
「関所之跡」碑。
平川を天然の堀として番所大橋を渡り、
旅人は高麗門をくぐった後、
関所に入るようになっていました。
「高麗門」。
道の駅として賑わう場所に再建されており、
近くには関所資料館も設置されています。
幕府の巡検使はこの関所の厳重さを、
「箱根の関所も及ばない」と記しました。
弘前藩は東に盛岡藩と八戸藩、
南には久保田藩などと、
あまり友好的ではない藩に囲まれており、
どの関所も厳重であったようです。
とはいえ吉田松陰と宮部鼎蔵も通っており、
怪しい者でなければ通れたようですね。
■羽州街道の宿場町
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友好的な藩同士ならば厳重ではない模様。