山口県山口市 野坂御番所跡

各藩の領地の境界には口留番所が設けられ、
領内出入や物資の取締が行われていました。
ご禁制の品を取り締まったり、
人や物の通行税を徴収しましたが、
各地の番所によってその厳しさは様々。
例えば仲の悪い藩同士であれば、
その取締りは厳しくもなるでしょうし、
反対に殆どスルーというものもありました。

通行には通行手形が必要でしたが、
伊勢参り等の寺社参拝では、
意外にも無条件にスルーだったりと、
役人のさじ加減なところもあったりします。
吉田松陰も無手形で各藩境を越えており、
よほどの不審者でなければ、
それ程は厳しくはなかった模様。
混同されがちな関所と比べると、
※関所は幕府の指定した検問施設。
ずいぶんと緩い取締りであったようです。
勿論厳しい御番所もあったでしょう。

長州藩津和野藩の間にある野坂御番所は、
現在の山口県島根県の県境にありました。
長州藩と津和野藩の仲は良いほうで、
藩士交流も盛んに行われていますし、
領民が逃げ出したという事もありません。


野坂御番所跡」。
山手には遺構として石垣が残っています。
江戸期を通じて平和な藩境だったようで、
厳しい取締りはありませんでした。
幕末には長州藩の軍勢が通行しており、
所謂石州戦争での進軍が行われていますが、
この番所は長州藩の役所ですので、
藩軍は普通に通れます。

一方の津和野藩は城下入口に番所を設置し、
旅人は城下町に入る際に手続きをした為、
長州勢は津和野藩に使者を送って、
津和野領内の通行を求めると共に、
幕府軍目付長谷川久三郎らの引渡しを要求。
津和野藩は領内通行の許可と、
長谷川らの引渡しを行っています。
※長谷川らは山口に送られて拘囚。

■山陰街道の宿場町

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 藩境が川というパターンも。

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