磐城平藩安藤家は飛地として美濃に1万8000石を領し、
これを管理する為に切通に出張陣屋を設けています。
切通は古来より交通の要路でしたが、
中山道が開通されてからは立場(休憩所)となり、
茶屋、菓子屋、履物屋等が建てられて賑わっていました。
切通六丁目近辺(切通陣屋跡の場所)
切通という地名の由来としては、
北側の岩戸周辺に溜まった滞溜水を、
境川に流して道が切れたという事によるという。
「切通陣屋跡之碑」。
旧街道の北側の路地に入った場所にある跡碑。
案内板も設置されているので探しやすいです。
中山道の道標も置かれていました。
「切通観音」。
陣屋跡にある小さな御堂。詳細は不明。
ここは平安時代に長森城が築かれていた場所で、
美濃守護職の土岐家が城主であったという。
廃城時期も不明で遺構は皆無。
斎藤道三が美濃を支配した時期ではないかとされます。
磐城平藩の美濃飛地は厚見郡11村 、羽栗郡2村、
本巣郡6村、方県郡11村に及び、
切通陣屋はこれらの司法、行政を取り仕切ったとされ、
廃藩までの60年以上の間、これを支配していました。
戊辰戦争で本拠の磐城平城は新政府に敵対しますが、
藩主の安藤信勇は上洛して恭順しており、
帰れなくなった信勇は切通陣屋に滞在しています。
本領より遠く離れた飛地を治める為に、
出張陣屋が置かれる事は珍しくないようですが、
やはり今でいう支所のようなもので、
それほど記録が残ってはいません。
維新後、切通陣屋は廃止されたようで、
周辺飛地は笠松県に組み込まれています。
■関連記事■
・福島県いわき市 磐城平城跡
磐城平藩安藤家の本拠。
・福島県いわき市 良善寺(安藤信正墓所)
磐城平藩主安藤信正の墓所。
・岐阜県岐阜市 加納城跡
近隣の加納藩永井家の居城跡。安藤家のかつての居城。