龍源寺は打越光隆が矢島に入封した際、
常陸国より白峰廣椿和尚招いて開山。
打越家が無嫡断絶となった後に、
生駒家が矢島に入って菩提寺と定め、
初代生駒高俊もここに葬られています、
「龍源寺」。
生駒家は高俊の次代より江戸に常駐し、
6代まで国入りはしておらず、
菩提寺ではありますが高俊以外の墓は無し。
しかしながら領主菩提寺として隆盛し、
諸房も多く建てられていたという。
「本堂」。
茅葺屋根の見事な本堂は明治初期の再建。
庄内藩との戦闘によって全棟を焼失し、
その後再建されています。
領主菩提寺ながら比較的檀家数が多く、
士族以外の檀家を認めていたという。
これは全国的に珍しい例で、
民政安定政策の一環とされています。
「戊辰の役戦死者之碑」
これは矢島勢小隊司令片倉良吉の墓で、
このような標柱が点在していたようですが、
全く気が付かずでした。
「生駒藩公御墓所」。
石段を上がると墓所が見えてきます。
「矢島藩主生駒高俊公之御墓所」。
矢島藩初代生駒高俊の墓。
17万3000石の大領を相続しなから、
男色にふけって藩政を顧みず、
生駒騒動のきっかけを作った暗君。
家中不取締で領地は没収され、
堪忍料1万石が与えられるに至ります。
高俊の跡を継いだ生駒高清は、
所領のうち2000石を弟に与え、
大名の資格を失って交代寄合となります。
しかしその後の当主は国入りを許されず、
7代生駒親睦まで江戸に定住。
再び矢島藩が立藩するのは明治維新後で、
新政府に与した事を評価され、
高直しにより諸侯に列していますが、
廃藩置県によりその短い藩政を終えました。
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