福岡県田川郡 碧巌寺(小倉藩主小笠原忠幹仮埋葬地)

小倉藩9代藩主小笠原忠幹小倉戦争直前で病死。
有事ということでその死は伏せられ、
忠幹の遺骸は密かに城内に埋められました。
その後、熊本藩ら諸藩の撤兵で孤立した小倉藩は、
小倉城を自焼させて城下から田川まで撤退。
香春を仮藩庁としました。

未だ長州藩と交戦状態にある小倉藩は、
敵の手に落ちた小倉城より忠幹の遺骸を掘り返し、
安全な場所への埋葬を計画。
藩は庄屋中村平次郎に命じて秘策を練らせ、
大工の吉右衛門親子ら4人が敵陣の城下に潜入し、
夜陰に乗じて遺骸を発掘しました。

長持に納められて小倉から運ばれた遺骸は、
黒崎直方などの福岡藩領を経由し、
金田村にたどり着いて碧巌寺に埋葬されます。


碧巌寺」。
福聚寺3世である愚禅の弟子守靖が、
金田村の石橋の上を寝ていたところ、
夢の中に菩薩が現れたことから、
守靖が福聚寺2世であった法雲を招請して開山。
福聚寺とゆかり深い事から埋葬地に選ばれたようです。

忠幹は明治18年に福聚寺に改葬されますが、
戦後すぐに改葬されていない事からすると、
ここは仮埋葬地ではなく一応は正規の埋葬地だったのでしょう。

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