福島県石川郡 浅川代官所陣屋跡

寛保元年(1741)、
高田藩久松松平家白河藩へ、
白河藩越前松平家姫路藩へ、
そして姫路藩榊原家高田藩へ、
それぞれ三方領地替えが行われ、
浅川領8万4000石が高田藩領となり、
高田藩の飛地陣屋が浅川に置かれました。

当時の浅川は土地が悪く飢饉も多かった為、
人口が減って領地経営が芳しくなく、
高田藩は浅川領への移民を募りますが、
応募は得られずにさらに経営は悪化。
浅川騒動という打ちこわしも発生し、
高田藩も匙を投げて領地替えを懇願し、
5万石余りが越後国頸城郡と替えられます。
替えられた浅川領は幕府領となり、
高田藩は釜子陣屋で残りの飛地を支配し、
幕領となった浅川領も預かりました。
後に浅川領は高田藩預かりから、
塙代官所の管轄となって、
浅川に出張代官所が置かれます。


浅川町立浅川小学校(浅川代官所跡)」。
Wikipediaの情報では、
記念碑があるとなっていますが、
どこを探しても見当たりませんでした。
学校の南側に碑がいくつか建っていますが、
高校や町合併の記念碑で陣屋跡碑ではない。
まあWikipediaはあまり信用していないので、
行ってみて[やっぱりね]って感じです。

浅川代官所は塙代官の恭順により、
代官所としての役割を終えていましたが、
戊辰戦争棚倉城を奪取した新政府軍は、
浅川陣屋に土佐藩兵彦根藩兵を駐屯させ、
北からの奥羽越列藩同盟の攻撃に備えます。
棚倉城を奪還しようする同盟軍は、
陣屋北東の城山(現城山公園)を占領し、
浅川を隔てて銃撃戦が行われましたが、
新政府軍の勝利に終わりました。
仙台藩の資料では三春藩が寝返り、
背後から攻撃した事になっており、
これが後に[三春狐にだまされた]と、
後に三春が謗られる原因となっています。
寝返り攻撃は仙台藩の資料のみで、
 その信憑性は疑問視されています。

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