塙代官所は陸奥国天領5万石を支配し、
その司法、行政を担った代官所で、
享保14年(1730)から、
慶応4年の139年間で、
45人の代官が赴任しています。
「子育て地蔵尊(塙代官所跡)」。
現在の塙代官所陣屋跡には、
子育て地蔵尊が祀られており、
子供達の健やかな成長を見守っています。
これは名代官23代寺西重次郎源封元が、
育児を奨励した事に由来するもので、
毎月24日に御開帳されているという。
「塙代官所舊址碑」。
子育て地蔵尊の境内にある跡碑。
ここに代官所陣屋が置かれる前は、
竹貫村に陣屋が置かれましたが、
塙が太田街道や平潟街道の要所であり、
久慈川流域の年貢輸送に便利な事と、
奥羽外様藩の監視に適した場所であった為、
代官所を移したとされています。
名代官として知られる寺西封元は、
安芸の浪人の子であったようですが、
江戸へ出て幕府の徒士として取り立てられ、
才覚をもって出世して塙代官となり、
後に小名浜、川俣、桑折の代官も兼任。
寺西八ヶ条を制定して農民の心得を指導し、
人口増加や開墾、治水政策を行いました。
後に桑折代官となり桑折で死去しています。
「代官所の様子(現地説明板より)」。
幕末の特筆する事件としては、
田中愿蔵の捕縛と斬首でしょう。
天狗党の乱で暴虐を尽くした田中愿蔵は、
那珂湊で敗れた後に八溝山に潜伏しますが、
食糧も尽き果てた為に下山。
真名畑村で塙代官所の役人に捕らえられ、
この塙代官所陣屋で取り調べが行われた後、
久慈川の刑場で斬首されています。
最後の塙代官は多田銃太郎。
奥羽鎮撫総督府に退任願を提出して恭順し、
仙台藩が総督府に命じられて陣屋を接収。
139年の歴史に幕を閉じました。
■関連記事■
・福島県伊達郡桑折町 桑折代官所陣屋跡
同じく陸奥国天領を治めた代官所。
・新潟県阿賀野市 水原代官所
天領水原を支配した代官所跡。
・福井県越前市 本保陣屋跡
越前国内天領を支配した代官所跡。