下関市唐戸周辺 赤間関宿跡

赤間関宿山陽道(西国街道)の終点。
本州の西端に位置しており、
九州への玄関口にもなっています。
宿場の顔以外にも北前船の寄港地でもあり、
上方と北国を繋ぐ中継地点であった為、
大変な賑わいであったという。


御国廻御行程記 赤間関」。
宿場は阿弥陀寺(現赤間神宮)辺りから、
永福寺前までの間のようです。


現在の赤間関宿跡。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが赤間関宿。
開発、埋立、空襲で様変わりしており、
当時の面影を残すものは殆どないのが現状。


赤間神宮」。
当時は阿弥陀寺という安徳天皇を祀る寺で、
諸坊を抱える大寺院であったという。
赤間関宿を訪れる殆どの旅人が、
阿弥陀寺を参拝したとされ、
賽銭や拝観料で隆盛していたようです。
下関市阿弥陀寺町 赤間神宮


本陣伊藤邸跡」。
赤間関宿の本陣のひとつ伊藤家の邸宅跡。
幕末の当主伊藤助太夫(九三)は、
坂本龍馬の支援者として知られていますが、
先代伊藤静斎吉田松陰高杉晋作と親交。
歴代当主は蘭癖であったようですが、
出島カピタンの宿所であった影響です。
下関市阿弥陀寺町 本陣伊藤邸跡


亀山八幡宮」。
赤間関の氏神として敬われる神社。
参道の石段下は九州への渡船の発着場で、
下関市唐戸町 堂崎の渡し場跡
そこから長崎街道などの九州路へ向かう為、
ここが山陽道終点と思われていたようです。
下関市中之町 亀山八幡宮


末廣稲荷神社」。
赤間関には稲荷町裏町遊郭街があり、
平家の女官に始まる格式高い遊郭として、
遊女らは客より上席についていたという。
下関市赤間町 末廣稲荷神社
下関市赤間町 稲荷町 裏町遊郭跡

田中川の西側は南部町
なんぶまち」ではなく「なべちょう」と読み、
廻船問屋が立ち並ぶ問屋街でした。
長州藩の越荷方役所役所も置かれており、
下関市南部町 馬関越荷方役所跡
経済的に重要な場所であったようです。
現在は殆どその面影はありませんが、
市役所裏手に慶応2年創業の松琴堂が残り、
伊藤博文命名の銘菓[阿わ雪]を作っています。
下関市南部町 松琴堂


本陣佐甲邸跡」。
赤間関宿の本陣のひとつ佐甲家の邸宅跡。
伊藤家と同等の格式であったようで、
参勤交代時の大名の宿所であった他に、
出島のカピタンの宿所とされていました。
下関市南部町 本陣佐甲邸跡


永福寺」。
山陽道終点である観音崎町の永福寺前。
永福寺は幽霊掛軸で知られる臨済宗の寺院。
小倉戦争時には砲台も設置されました。
永福寺の幽霊掛軸
下関市観音崎町 永福寺砲台跡

更に西へ行くと入江町
西入江町にかつては煎餅店「江戸金」があり、
亀の甲せんべい」を売っていたようですが、
その正確な場所はよくわかりません。
江戸の金さんの亀の甲せんべい

下関を宿場町と考える人は皆無ですが、
実際には九州諸大名、朝鮮通信使
カピタン等の宿泊する重要な宿場町でした。
今回は地元という事もあり、
記事を集めた再編集というカタチです。

■西国街道の宿場町
■赤間関街道/萩往還の宿場町

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