福井市に丹羽長秀の墓があります。
長秀は織田信長の宿老であり、
柴田勝家に次ぐ二番家老となっていました。
信長が倒れた後は羽柴秀吉に味方し、
越前国123万石の大大名となりますが、
積虫に苦しんだ末に切腹しています。
「総光寺」。
総光寺は丹羽家菩提寺として建立され、
長秀はここに葬られましたが、
跡を継いだ丹羽長重は秀吉に厳封され、
それに伴い総光寺は小松に移転。
墓所を守る為に跡地に宗徳寺が建立され、
総光寺の末寺となっています。
後に総光寺や宗徳寺は廃寺となりますが、
結城秀家が福井藩が立藩すると、
その重臣芦田家によって総光寺は再興。
長秀の墓は新しい総光寺に移されました。
「丹羽長秀公御墓」。
総光寺の裏手にあります。
右側が長秀の墓で、
左は次男の丹羽長正の墓。
長正は兄長重と共に前田利長と戦い、
※浅井畷の戦い。
戦後に徳川家康に改易されています。
後に兄長重は許されて大名に復帰しますが、
長正は豊臣秀頼に仕えており、
大坂冬の陣で豊臣方として戦いますが、
夏の陣の直前に離脱して福井に隠遁。
元和6年(1620)に死去しています。
一方の長重は徳川秀忠の御伽衆となり、
最終的に10万石を領するまでとなり、
※関ヶ原で西軍に与して改易された大名で、
10万石以上の領地に復帰したは、
長重と立花宗茂のみです。
丹羽家は二本松藩として続き、
廃藩置県に至っています。
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