幕末福井の歌人橘曙覧の関連史跡を巡る。
曙覧は花鳥風月を詠むことが主流の時代において、
身近な言葉で日常生活を和歌で詠んだ歌人。
焼き魚や豆腐を食す楽しみ、
紙漉きや銀山採掘などの労働風景、
竹が生えた住居の様子やしらみまで歌にしており、
死後に正岡子規ら文学者に高く評価されました。
文具を扱う商家橘屋正玄家を継いでいましたが、
家業に嫌気が差して弟に家督を譲り、
児玉三郎や田中大秀に入門して歌を詠むようになり、
隠遁して清貧な暮らしをしながら歌に精進しています。
「橘曙覧生家の跡」。
久保町交差点に碑が建てられています。
文具商を営む正玄五郎右衛門の家に生まれ、
父の死後に家業を継いでいましたが、
28歳で弟に家督を譲っています。
「橘曙覧記念文学館(黄金舎跡)」。
弟に家業を譲った後に最初に隠遁した場所。
足羽山への北からの登り口愛宕坂の途中にあり、
はじめは七松庵と呼ばれていましたが、
石垣に山吹色の花が咲き誇っていたことから、
曙覧が黄金舎と名付けました。
現在は橘曙覧記念文学館となっており、
橘曙覧や郷土文学に関する企画展示を行っています。
「橘曙覧親子像」。
橘曙覧記念文学館2階の庭先にある銅像。
曙覧は家族を大事にしたとされ、
子供を大変可愛がっていたようですが、
曙覧の側で父を見上げる三女の健子は、
4歳で疱瘡を患って夭折してしまいました。
愛宕坂を登った先の駐車場の隅に、
橘曙覧の歌碑があります。
「橘曙覧歌碑」。
橘曙覧没後百年を記念して建立された歌碑。
春のはじめ古事記を開きて
はるにあけて先づみる書も天地の
はじめの時と読みいづるかな 曙覧
愛宕坂を下りて西側の妙観寺墓地に、
曙覧の三女で4歳で夭折した健子の墓があります。
「智遊童女霊(橘健子墓)」。
曙覧の三女健子の墓。
墓碑側面に曙覧自筆の歌が刻まれています。
今とし四歳にて身まかりける
むすめ健子かなきからを
此所にをさめて
迦しのみのひとりはいてかて
おくつきをならへて父も
こゝにすむ身そ 橘尚事
最愛の娘を亡くした曙覧の悲しみを歌ったもので、
娘を持つ自分にもその悲壮さが伝わりました。
他にも曙覧は健子を思う歌を多く残しており、
その悲しみに胸が打たれます。
きのふまで吾衣手にとりすがり
父よ父よといひてしものを(橘曙覧全歌集より)
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幕末の歌人藤井竹外の関連史跡。